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New museum walk MANILA GALLEON – FROM ASIA TO THE AMERICAS – (Feb issue 2024)

31 Jan 2024

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特別展「マニラ・ガレオン−アジアからアメリカ大陸へ−」


2024年3月17日(日)まで


 アジア文明博物館で開催中の特別展では、1565年から1815年まで250年間続いたガレオン貿易による文化交流の様子を美しいアート作品でご紹介しています。16世紀にスペインの植民地となったフィリピンのマニラと、当時ヌエバ・エスパーニャ(スペイン語で“新スペイン”)と呼ばれたメキシコのアカプルコをガレオン船で行き来したこの貿易は、アジア・ヨーロッパ・アメリカの三大陸を結ぶ世界貿易の先がけでした。5年の歳月をかけて準備が進められてきた本展。140点以上の展示品のうち約7割はメキシコ、フィリピン、スペインなど国外の博物館や個人所蔵から貸し出された貴重な芸術作品です。


ガレオン船が運んだものとは?


 太平洋を横断しアカプルコからマニラへ向かう船は「銀船」とも呼ばれ、新大陸で採掘された銀のほか、宣教師、聖人像、トウモロコシ、トマトなど、現代でも人々の生活に欠かせない重要な品を運びました。特筆すべき食材は、紀元前1900年頃より中米のメソアメリカで飲用されていたカカオ。これをきっかけにスペインを通じてヨーロッパにチョコレートが広がります。また、キリスト教布教は植民地支配の基盤固めとも言え、多くの宣教師がヨーロッパからフィリピンへわたりました。この影響は大きく、現在のフィリピン、メキシコは世界最大のカトリック教国となっています。一方、マニラからアカプルコへ向かう船は「絹船」と呼ばれるほど大量の中国の絹、中国や日本の磁器や漆器、香辛料、宝石などスペイン上流階級の生活を豊かにする品々をスペイン領アメリカ大陸にもたらしました。さらに大西洋を横断して本国スペインへと運ばれていったのです。


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大量の銀が生んだ世界初の通貨


 中国の高級品への支払いに使われたのが銀。ボリビアのポトシ銀山をはじめとして、当時メキシコは世界の銀の80%を産出していました。1570年代に鋳造され始めたスペイン銀貨は世界貿易には欠かせないものとなり、8レアルの価値があったために(スペイン・レアル硬貨の8倍の価値)“Pieces of Eight”などと呼ばれます。1730年代には機械製の硬貨が登場し、重さや大きさを統一。直径4㎝の展示(写真①)に描かれた旧世界と新世界を表す二つの地球儀には、世界を支配するというスペインの意思が表されています。中国との貿易が盛んだったため中国の刻印や認証マークが付いているのも興味深い点。このスペインドルは19世紀まで国際通貨として使われ、メキシコ・ペソだけでなく、中国元、海峡ドル(現在のマレーシア・リンギット、シンガポール・ドル)、円など多くの通貨の基礎となりました。さらに銀は芸術品としての需要も高まります。中国の銀細工職人による典礼品や、美しくユニークな銀器の展示もご覧ください。


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アジアの“ハブ”シティ、マニラ最古の風景


 アカプルコへ送るアジアの商品が集まる、植民地時代のマニラが描かれたチェスト(写真②)も必見。外側はシンプルな箱……ですが、蓋の裏側には17世紀の町の景色が広がります。中心となっているのは海と陸に面した城壁都市。ここは「壁の内側」を意味するイントラムロスと呼ばれるスペイン人のための居住エリアで、官庁や邸宅、教会などが建ち並んでいます。さらによく見ると城壁外の右下には明代の衣装を着た人や中国船も描かれていますが、これはサングレイと呼ばれた中国人たちの強制居住地区、パリアン。当時の中国は貿易が制限されていたため、需要があってもスペインと直接取引はできません。そのため多くの中国商人たちがマニラへと渡りました。一方、会場では、メキシコシティの町並みもビオンボと呼ばれる日本美術から影響を受けた大きな屏風で見ることができます。迫力ある大作に目を奪われます。


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ガレオン航路を往く日本のサムライ


 一際目を引くほぼ等身大の肖像画(写真③)に描かれているのは、煌びやかな衣装を纏った支倉常長。1613年に仙台藩伊達政宗の命を受けてローマに向け出立した慶長使節団の団長で、遠藤周作の小説『侍』のモデルとなった人物。使節団の目的は、メキシコとの直接貿易とフランシスコ会修道士の東北への派遣要請を行うことでした。アカプルコを経由しスペインで国王に謁見、洗礼を受けた後、ローマ教皇に謁見。しかし交渉は成立することなく、マニラを経由して7年後に、キリスト教弾圧下の日本に帰国。使節団の中には、スペインやメキシコに留まり彼の地に永住した随行員もいます。肖像画はローマで描かれたもので、西洋の油絵で描かれた立ち姿の侍の肖像画は珍しく、支倉家や伊達家の家紋、信仰を表す聖人やモチーフが散りばめられています。また、西洋風の足袋や小袖の下のレースのようなシャツなど和洋折衷のスタイルはまさに“伊達男”。右下の犬にも意味が…?いろいろなメッセージが込められたこの肖像画はイタリアの個人所蔵品のため、直接鑑賞できる貴重なチャンスです。


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アートで融合する古代メキシコ文明とキリスト教


 スペイン支配の以前、先コロンブス期から非常に価値がある羽毛細工。羽毛は特別なものであり、古代メキシコ人にとって重要な神のひとつには羽毛の生えた蛇、“ケツァルコアトル”がいます(特別展会場の入り口では植民地以前の文明に関する展示も)。アステカ期において、羽毛は神像や、王侯貴族の衣服、儀式を飾る神聖なものとして扱われ、アマンテカと呼ばれる先住民族の羽毛細工師が衣類などを作っていました。展示品(写真④)には聖杯を持つ福音記者ヨハネが描かれていますが、よく目を凝らして見ると地は羽毛であることがわかります。スペイン侵攻後、16世紀からキリスト教を題材にした羽毛細工が作られ始めます。油絵では描けない光沢や色彩は聖人の姿をより神々しく見せたことでしょう。保存が非常に難しいため、160点ほどしか現存していません。


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世界を魅了した中国シルク


 ガレオン貿易開始後、アカプルコやセビリアで憧れの的となったのが、何千年もの間、­中国の高級輸出品だった絹織物。シルクに刺繍が施され、長いフリンジがついたショールは、マニラを通じて取引されたためマニラ・ショールと呼ばれ、スペイン、フィリピン、スペイン領アメリカ大陸の女性たちに愛用されました。フラメンコ・ショールとも呼ばれ、現在もフラメンコの舞台には欠かせないアイテム。展示品(写真⑤)には中国の伝統的なモチーフである牡丹、蝶、キジのほか、庭に集まった家族が刺繍されていますが、人物の顔をよく見ると、小さな象牙の円盤に彫刻と彩色を施して顔の一部となるように刺繍されています。精巧な細工をご覧ください。1815年アカプルコ港からの出航を最後にガレオン貿易は終了しますが、その後もマニラ・ショールは直接スペインに輸出されました。


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 特別展会場にはここではご紹介しきれなかった素晴らしい作品が並びます。さまざまな国の文化を感じながら、それらが融合し、新しい芸術・文化が生まれていく面白さ、力強さをぜひ直接味わってみてください。会期中は日本語ガイドツアーを実施しています。


文責・写真 ミュージアム日本語ガイドグループ 石田亮子


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