Shining mimosa star The 8th Ms Tsutsumi Yuki (Oct issue 2021)
30 Sep 2021
堤 祐子さん
第8回の今回は、シンガポール日本人学校小学部チャンギ校校長の堤 祐子さんに、お話を伺いました。
✿プロフィール 堤 祐子(つつみ ゆうこ)さん✿
宮城県仙台市出身。(生まれは新潟市)
仙台市内の公立小学校教員や市民センター(社会教育主事として)に勤務。管理職としては、仙台市内小学校長と仙台市教育センター所長を歴任。海外日本人学校勤務は、オランダロッテルダム日本人学校に次いで2回目。
聞き手
シンガポール日本人学校小学部チャンギ校教諭 原田渚未
ーまずチャンギ校のよさとアピールポイントはどのようなところですか。
堤さん チャンギ校は、私にとって2校目の日本人学校になります。やはり日本人学校の子どもたちに共通しているのは、素直な子どもたちが多いということ。それから、もう1つは、とても優しい子どもたちが多いということです。なぜなのかなというと、もちろん、長くその地に住んでいらっしゃる方もいると思うのですが、みなさん3年とか短い周期で変わっていくので「出会うけれども、いつかは離ればなれになる」というのが子ども心にあるのかなと思います。それで、みんな周りの人に優しいなという印象をもっています。
チャンギ校のアピールポイントは、施設がとても充実しているところです。音楽室や図工室などの特別教室がいくつもあります。まず空間的な環境に恵まれています。2つ目は、本校の特色でもある「ICT教育」が進んでいることです。かなり早いうちから一人1台ずつChromebookを使って学習ができる環境が整っていたというのは先見の明があり、それが素晴らしいと思います。今回、コロナ禍での在宅学習においても、日本国内や他の日本人学校と比べて速やかに対応し、在宅学習ができたことは誇りに思ってもいいのかなと考えています。
もう一つは、様々な文化が混在するシンガポールの中で、シンガポールと日本を比較しながら学べる機会があることは、将来的にグローバルな人材に育っていく環境に恵まれているということも本校の素晴らしいところかなと考えています。
ーそうですね。去年「やし(チャンギ校で作成している文集)」で見たのですが、実際にチャンギ校の卒業生でプロ野球選手になった子どもがいたようですね。
チャンギ校エントランスにて
堤さん 大道温貴選手ですね。広島カープに入団し、プロ野球選手としての活躍が期待されています。
あとは、パラリンピックの陸上選手になった高桑早生選手です。そういう選手が、卒業生に実際にいて、彼らの小学生時代の「やし」をみんなで見たりできるということは、チャンギ校のよさですね。
ー校長先生が日頃から大切にされていることは、どんなことですか。
堤さん 人と人とのコミュニケーションを一番大切にしています。大切なのは、やはり大人も子どももそうなんですけれども、人とつながっていくということ。一人ではできない素晴らしい結果とか、あるいは次の新しい可能性につながるのかなと思うので、「出会う」ということは、自分の財産になるのかなと信じています。
学校について言えば、先生方にもスローガンとして掲げている『チャンギっ子の笑顔のために わかる 考える授業』を進めましょうということ。そして、『学びのふるさと チャンギ校』になるような、「また戻ってきたいな、みんなに会いたいな」と思えるような温かい雰囲気を大切にしていきたいと思います。
ーそうですね。昔からきっと『学びのふるさと』というのはチャンギ校で大切にされているのかなと思いますね。本校で今働いている深谷先生は実際にチャンギ校で学んで、先生として戻ってきたことからもわかるような気がします。今、学んでいる子たちが、またそういうふうに何年か後に、ここで先生として教壇に立つ子がいたらと考えると、すごく素敵ですよね。校長先生は、《女性管理職》として何を大切にされていらっしゃいますか。
堤さん 今は、男女雇用機会均等ということで、職務については男女差はないということになってきているのかなと思います。けれども、女性らしさは、大切にしています。どちらかというと、女性の方がしがらみなく、いろいろな面に順応していけるしなやかさというか柔軟性が特徴かなと思っておりますので、そういう面を生かして仕事面でも対応していきたいと考えています。それから、気配り、目配りという点では、女性の強みでもあるのかなと思うので、そのようなことも心がけてはいます。また、今は単身の男性の方も増えてきていますが、私の場合は、一人で家事も仕事もやらなければいけないことが多いので、時間の有効な使い方を意識しています。
ー今でこそ、若い方や女性の管理職の方も増えましたが、校長先生が管理職になられた時は男女比はどのくらいでしたか?
堤さん 地元のお話になりますが、私たちの頃は、まだ、2対8くらいで、ほとんど周りは男性でした。だから、その中でのやりづらさもありました。「ピンチをチャンスにかえて」がキャッチフレーズなんですが、自分の能力を発揮できるところで生かすを心がけてやってきたかなというところはあります。
ーここからは、少し校長先生の子ども時代のことをうかがいます。どのようなお子さんでしたか。
堤さん 推理小説や冒険ものを読むのが好きでした。小さい頃はスパイに憧れていたので、オランダに行ったときも、「マタ・ハリ」とかスパイに関するものを探して調べたり、スパイごっこではないけれど冒険ごっこのようなものを友達としたりして、割と活発な子どもだったと思います。
ースポーツはどんなものをされていたのですか。
堤さん スポーツは、かけっこは得意でしたね。小さいときは、リレーの選手とかよくやっていたのですが、長距離が苦手で。さっと終わるのが得意かもしれない。中学校時代は「アタックNo.1」に憧れて、バレーボール部に入っていました。弱小チームでしたが。
インタビューの様子
ー教員を目指したきっかけは何ですか。
堤さん もともと教員になるぞというタイプではなくて。いろいろなことに興味があり、どちらかというと教員をめざした、というよりは、教員になってからその面白さがわかってきたタイプ。それが逆に、いろいろなことをやりながら教育を多面的に見ることができて先生っておもしろいし、素晴らしい仕事だなと感じることにつながりました。
ー堤校長のプロフィールにもあるように、教育センター長という教育委員会の役職というお立場で、現場を支えるご経験は、今どのように生きているのでしょうか。
堤さん そうですね。そういった行政経験は、今の校長という立場にも繋がっていると思います。学校というところは、先生たちが子どもたちと日々繰り広げている教育のことだけを考えていけばいい場所ですし、また、そうしなければいけません。「管理職」の立場になると、そのような先生達をバックアップして教育活動を円滑に進めていただくことが大切な役割になります。しかし、それと同時に「経営」ということも考えていかなければなりません。行政にいた時も、「教育予算」というものがつきまとっていました。現在の日本人学校では、「教育活動」と学校予算も含めた「経営」というシビアな部分を考えていかなければなりません。時には、自分や先生達がやりたい教育の理想と現実との板挟みになって悩むこともあります。やはり学校を経営していく上で、理事会や事務局と連携を取りながら、いい教育活動を保証していく。そして、学校として持続可能な日本人学校という視点で、学校経営をしていかなければいけないのかなと感じています。
ー日本の学校と日本人学校の違いを教えていただけたらと思います。
堤さん 日本の学校との違いということであれば、シンガポールという異文化の中で、日本の教育を受けながら、日本人としてのアイデンティティーを確立していけることでしょうか。日本で学ぶより、多様な考え方ができる子どもたちが育っているのではないかと感じますし、将来の日本を担っていく人材が育っていくことを期待しつつ、それが楽しみでもあります。
オブジェと一緒に
ーシンガポールのおすすめの場所はどちらですか。
堤さん 好きな場所は国立博物館です。シンガポール建国の父、故リー・クアンユー元首相が、マレーシアから分離したときの涙ながらの会見がビデオコーナーにあるんですよね。そのビデオコーナーを見ると、シンガポールがアジアの小さな経済大国に発展するまでの源というか、出発点だったなと思うと、私はそこがものすごくお気に入りで、めげそうになるとそこに行ってビデオを見ながら「ん〜そうだよな。」と思いながら、過ごしております。
ー学校の中で好きなところはどちらですか?
堤さん エントランスが風通しがよく好きです。
ーみんな毎日通りますからね。
堤さん そうですね、そうそう。
ーでは、休日の過ごし方やリフレッシュ方法は何ですか。
堤さん 今は、コロナ禍でなかなか出かけられないので、ささやかな過ごし方ではありますが、昼は、スーパーで面白そうな食材やスパイスを探すことです。でも試してみたけれど、美味しい物はあまりなかったかもしれないという結論です。夜は、美味しいチーズとワインでゆったりとリラックスするということです。毎日なんですが(笑)。
ー座右の銘はありますか。
堤さん 「Tomorrow is another day.」です。映画『風とともに去りぬ』の中で、スカーレット・オハラが言うセリフなのですが。「明日は明日。くよくよしない。」という、気持ちを切りかえて前に進むという面で好きな言葉です。
インタビューを終えて、記念写真
(写真左から)原田渚未、堤 祐子さん、福島理恵
文責:シンガポール日本人学校小学部チャンギ校教諭
福島理恵、原田渚未、一木洋子、石黒茂、小林智
写真:シンガポール日本人学校小学部チャンギ校教諭 福島理恵
