The Heritage Trail ④「Sentosa Island Trail」(Sep Issue 2024)
01 Sep 2024
第4回
Sentosa Island Trail
セントーサ島は、シンガポール本島の南に位置する小さな島で、現在は観光地として知られていますが、その歴史は多様で興味深いものです。
セントーサ島の歴史は、19世紀初頭に遡ります。1819年、イギリスの植民地支配が始まると、この島は「プラウ・ブラカン・マティ」(マレー語で「死んだ木の島」)と呼ばれていました。その後、島はイギリス軍によって「ブリニャ島」と改名され、要塞や砲台が設置されました。第二次世界大戦中、シンガポールが日本軍によって占領されると、島は日本軍の重要な軍事拠点となり、その後イギリス軍が再占領しました。
戦後、島はしばらく軍事基地として使用されていましたが、1967年にシンガポールが独立を果たすと、政府は観光地としての開発を進めることを決定しました。1970年、政府は島の再開発計画を発表し、1972年に島の名前を「セントーサ」と変更しました。この名前はマレー語で「平和と静けさ」を意味しています。
その後、政府の主導でセントーサ島は大規模な開発が進められ、リゾート地としての姿を整えていきました。1980年代には、セントーサ島は観光客を惹きつける主要な観光地としての地位を確立しました。ゴルフコース、ビーチ、歴史的な要塞(シロソ砦)などが整備され、さらに1990年代にはケーブルカーやモノレールなどの交通インフラも整備されました。
2000年代に入ると、セントーサ島はさらに大規模な開発が行われました。特に注目すべきは、2006年に発表されたリゾート・ワールド・セントーサの開発計画です。このプロジェクトには、ユニバーサル・スタジオ・シンガポール、水族館、カジノ、豪華ホテルなどが含まれており、2010年に正式にオープンしました。これにより、セントーサ島は国際的な観光地としての地位をさらに強固にしました。
現在、セントーサ島は年間数百万人の観光客を迎える人気のリゾート地です。美しいビーチや多様なアトラクションに加えて、シンガポールの豊かな歴史と文化を体験できる場所として、多くの人々に愛されています。また、持続可能な観光地としての取り組みも進められており、環境保護と観光産業のバランスを保つための努力が続けられています。
セントーサ島の歴史は、戦争と平和、軍事基地から観光地への転換という劇的な変遷を経てきました。この変遷は、シンガポールの成長と発展、そして世界におけるシンガポールの位置づけの変化を象徴するものです。これからもセントーサ島は、その歴史と美しさで多くの人々を魅了し続けるでしょう。
① Former Recreation Ground and Barracks
セントーサ島は、ブラカン・マティ島(かつて名付けられていた名前)にちなんで、1878年からは軍事前哨基地となっていました。イギリス軍が駐留する軍隊のため、兵舎やその他インフラを建設し、1940年に完成させました。当時の兵舎ブロック9と10は、軍のレクリエーショングランドです。その後、2000年代には、ホテルの宿泊施設に採用されています。隣接するブロック11は1937年に兵舎として建設され、1985年から1995年まではレアストーン博物館として、その後会議・イベントセンターになりました。Artillery AvenueとPalawan Beach Walkの間にあるエリアは、イギリス兵とnative兵(インド人兵)のために設けられた居住区(例えば既婚者、軍曹、士官等)であり、また、調理場等の施設も含まれていました。このエリアは、兵士が平等に出会える唯一の場所でありレクリエーショングラウンドです。そこでは部隊同士がサッカーやクリケット、そしてホッケー、陸上競技等で競いあっていた場所でもあるのです。
②Barracks at Former Parade Ground
1880年代から1942年にかけて、ブラカン・マティに駐屯していた2つの主要な部隊は、イギリスとインド亜大陸の兵士でした。後者はアジア砲兵隊またはネイティブ砲兵隊と呼ばれ、王立砲兵隊の香港とシンガポールの大隊(後の連隊)が含まれていました。この大隊の兵士は主にイスラム教徒のパンジャブ人とシーク教徒で構成されていました。ブラカン・マティでは、イギリス陸軍の兵士たちは階級や民族によって分けられていました。そして、兵士が対等に会うことができる唯一の場所であるレクリエーショングラウンドは、兵士たちがサッカーやクリケット、ホッケー、陸上競技をした場所です。
現在のガナー・レーンとラークヒル・ロード沿いに、最も古い兵舎があります。1890年代の地図では、これらのブロックは兵士宿舎と既婚兵士宿舎として表示され、非将校の階級向けとなっています。また、兵舎には、1階に事務所と食堂、店舗、武器庫がありました。部屋は上層階にあり、兵士は建物内にある仕立て屋や靴屋の店、パン屋、読書室やレクリエーションルームを訪れることもできました。
また、ブラカンマティのパレード会場では、軍事パレードや視察、賞や表彰の式典、その他の集会が開催されました。
ブロック41と42は、以前はバードケージウォーク(鳥が飛ぶ場所であり人が歩く場所でもある)として知られていた道路沿いにありますが、その後、地図からは削除されています。これらの2つのブロックは、柱のあるベランダと中庭を備えた相互接続された2階建てのテラスハウスで構成され、各ブロックに6つのユニットがあり、地下防空壕も近くにあります。
③Former Military Hospital (旧陸軍病院)
セントーサ・エクスプレスのインビア駅(Imbiah)から続く、長いエスカレータを上がっていくと、開放感のある広場にたどり着きました。ここは、「マダム タッソー シンガポール」でおなじみの蝋人形館がある場所です。「蝋人形館」と聞くと…ついつい不気味な館を想像してしまいますが、そんなことはありません!シンガポールの政治家を始めとして、ジャッキー・チェンやマイケル・ジャクソンなどの世界中の有名スターを象った蝋人形が展示されています。子供連れのファミリーにも人気で、朝から賑わいを見せています。
実は、この施設も日本占領時代(1942〜1945年)に日本軍の兵舎として利用されるなど、数々の変遷を経て今の姿となっているのです。
Former Military Hospitalという名前の通り、当初は島に勤務するイギリス軍とインド軍の軍事病院として1890年代に設立され、2004 年に都市再開発局によって保存認定を受けました。
日本占領時代には、日本軍の兵舎として使用されていました。利用者の中には、日本軍航空部隊の爆弾や燃料を扱う部隊の兵士も含まれていました。
第二次世界大戦後、病院は結婚した英国軍人の住居となり、周囲のバンガローや小さな建物は家族連れの将校が使用するようになりました。病院の裏手にはイスラム軍人にサービスを提供するスーラウ、つまり祈りの家もありました。1967年、シンガポール国軍が島の軍事施設の管理を始め、この建物はシンガポール戦闘工兵隊の最初の本部となりました。
セントーサ島がレジャー目的地として発展した後、1982 年にセントーサ蝋人形館がここに設立されました。数々の変遷を経て、博物館は「イメージ オブ シンガポール」に改名され、2016 年に「マダム タッソー シンガポールの一部」となりました。展示の中にも、日本軍によるシンガポール占領の記録が、蝋人形や写真、文書、映像などにより残されているそうです。
④その他 戦争関連施設
セントーサ、戦争遺跡、で連想することが多いのは、やはり「シロソ砦の戦争記念館」ではないでしょうか。
今回は時間の都合上、訪問を断念いたしましたが、「シロソ砦の戦争記念館」には、イギリス軍が日本軍に降伏した交渉テーブルの様子が蝋人形で精巧に再現されており、ビデオ映像も見ることができます。
島の西端に位置するシロソ要塞は、19世紀頃にイギリス人によって建設された数多くの海岸要塞の1つであり、シンガポールで最も完全な形で残っている要塞です。
1878年、シロソ山に建てられたこの要塞は、シンガポールにおける防衛戦で重要な役割を果たし、日本占領中および占領後は捕虜収容所となりました。
第二次世界大戦中、日本軍の侵攻によって激しい爆撃を受けたにも関わらず、ブラカン・マティの砲台は日本軍への砲撃を続けました。シンガポール陥落前夜に日本軍の使用を拒否して、イギリス軍によって破壊されました。
日本占領時代、シロソ砦はオーストラリア人とイギリス人の捕虜収容所となりました。1945年に日本軍が降伏した後、シロソ砦はイギリス軍に返還され、日本軍捕虜収容所となりました。大戦後は、1967 年にイギリス軍がシンガポールから撤退すると、シロソ砦はシンガポール軍の指揮下に置かれました。
今日では、セントーサ島がリゾート地として再開発された後、シロソ要塞は1974年以来、展示ギャラリーを備えた屋外軍事博物館として多くの人が訪れています。
シンガポールの軍事史と戦争の歴史を学ぶことができる、貴重な場所です。
〜番外編 セントーサのおすすめ〜
セントーサヘリテージの旅、いかがでしたか。最後に、観光地セントーサのおすすめをご紹介します。
★スカイライン・リュージュ
スカイライドに乗って上まで登り、4つの専用コースをカートで下るアトラクションです。コースによって様々な景色が楽しめ、スリル満点。子どもから大人まで楽しめること間違いなし。年パスもあります。
★コーステス
シロソビーチにある、美味しい料理が楽しめるビーチ・レストラン。セントーサ・エクスプレスのビーチ駅からも程近く、店員さんもフレンドリーで、お子様連れにもおすすめです。お花が散りばめられた、シーフードガスパッチョは絶品。夜には、花火も見られます。
★ボブズ・バー
カペラホテルにあるバーです。カジュアルかつのどかな雰囲気でリラックスできます。今回の取材で、カペラホテルも1890年頃からあった元将校の宿舎跡地であることが分かりました。外席では、美しいサンセットを眺めながら、格別な一杯が楽しめます。
【編集後記】
ユニバーサル・スタジオ・シンガポールやシー・アクアリウムなど、観光地として人気のセントーサですが、ヘリテージトレイルをしてみると歴史を感じられるスポットが多く残っていました。歴史ある建物の趣はそのままに、現在は観光施設やホテルとして活用されています。
ぜひ訪れた際は、観光のほかに、セントーサに残る歴史にふれてみてください。私たちも、今回は訪問を断念した「シロソ砦の戦争記念館」にまた足を運んでみたいと思います。皆さんも、週末はヘリテージトレイルの看板を見ながら、シンガポールを歩いてみてはいかがでしょうか。
出典:National Heritage Board sentosa 公式ガイドブックより
文責・写真:相原志保、鈴木俊太郎、杉原美和、小松原英莉(日本人学校中学部教諭)
