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Heritage Committee Newsletter (Mar issue 2024)

01 Mar 2024

エミリーヒルの旧日本総領事館


史蹟史料部


 


 シンガポールには、戦前から日本人の歴史に関わる場所で、建物が現存しているのは、ごく僅かです。今回は、その貴重な建物のうちの1つ、エミリーヒルに残る旧日本総領事館をご紹介します。


 日本領事館が開設されたのは1879(明治12)年、その後何度か移転し、1939(昭和14)年にアッパー・ウィルキー・ロードのエミリーヒルに移りました。現在その建物は、美術館として一般公開されています。


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 エミリーヒルは、MRTリトルインディア駅、ローチョー駅、ドビー・ゴート駅のちょうど真ん中あたりに位置しています。バス停が近くにあるわけでもなく、用事がなくここを通りかかることはないような場所にあります。


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 左は現在の写真、右は1939(昭和14)年頃の写真です。建物はほぼそのままの状態であることがわかります。


 旧日本総領事館として使われていた時代、Japan Street日本人街と呼ばれたミドルロードからでも、エミリーヒルに掲げられた日の丸の国旗が見えたようです。日本人学校、日本人医師の病院、商店などが連なっていたミドルロードを歩いた当時の人々は、この丘の上の総領事館を日常的に見上げていたことでしょう。


 1941年末の開戦に伴い、総領事館は閉鎖されました。戦後、この建物は現地の小学校、孤児院、老人ホームなどの変遷を経て、南洋芸術学院分校、そして現在は美術館となりました。


 この建物が建設されたのは1880年後半〜1890年の初めで、当時はオズボーンハウスと呼ばれ、1935年に歯科医の池田重吉氏が邸宅として購入しました。史蹟史料部発行の「戦前シンガポールの日本人社会‐写真と記録‐」収録「大正時代1912〜1926年日本人街」地図で、ヒルストリートに池田歯科があったことが確認できます。


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 今回史蹟史料部がこの美術館を訪れたのは、シンガポール ミュージアム 日本語ガイドを長く務める大澤芳恵さんのご紹介でした。


 大澤さんは、この建物が総領事館になる前に、池田重吉氏とともにこの邸宅に家族で住んでいた吉田美代子さんにお会いしたことがあるそうです。


 吉田美代子さんは1931年にシンガポールで生まれました。美代子さんの父・吉田政市氏は池田氏の弟子で、氏の姪と結婚し、家族でこの邸宅に住んでいました。その後、カールトンホテルがあったところに、吉田歯科を開業しました。


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 美代子さんは、エミリーヒルから近いミドルロードの日本小学校に通っていました。ニュースレター#25(南十字星2023年3月号)と#28(南十字星2023年4月号)でご紹介したとおり、日本人小学校の建物も現存しており、アートセンターとして使われています。


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 美代子さんの記憶によると、家の近くには教会があり、尼僧をよく見たそうです。おそらくその教会はチャイムスでしょう。


 日本小学校で書初めをしたのが楽しかったそうです。


 当時のミドルロード(日本人街)にはたくさんの日本商店があったことが、史蹟史料部発行の書籍「戦前シンガポールの日本人社会‐写真と記録‐改訂版」付録の地図を見てもわかります。


 その後この邸宅は総領事館として使われることになり、美代子さん一家は引越しをされました。


 まもなく戦争により、父・政市氏を除く家族は皆、日本へ帰国となりました。


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 OSKのアフリカ丸で帰国した絵葉書が残されています。


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 政市氏はその後、通訳として残り、日本軍で働いていたそうです。


 戦後、政市氏も無事に日本へ帰国することができました。


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 史蹟史料部が訪れた時は、Kumari Nahappanさんのアート展示が開催されていました。


建物内部の壁は塗り直されていますが、部屋の床や、こちらの木造の階段は美代子さんが住んでいた当時のままだそうです。


 築120年余り、旧総領事館として使われた立派な邸宅であったことが偲ばれる、優雅な造りです。


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 天井が低い細長い屋根裏部屋には小さな窓がいくつかあり、そこから街の風景を見渡すことができました。高層ビルが無い時代は、島内の遠い場所まで見渡せたのではないでしょうか。


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旧総領事館が閉鎖されたあと、この建物は乳児院として使われていた時代があり、院長はDr リム・ブンケンの夫人で、彼女がここを管理していたという記録があります(「星洲星光(アイナの本)より」。)


 Dr リム・ブンケンは、政治、経済、文化と多岐にわたる分野で重要な役割を果たし、現在のMRTブーン・ケン駅(NEL線)の名前の由来になっている人物です。


 約130年の間、様々な用途で使用されてきた建物ですが、現在も建設当時とほぼ同じ外観を保っています。The Private Museum Singapreは、展示会期間中は土曜日・日曜日も開いているそうです。


 エミリーヒルまで散策がてら、シンガポールにおける日本の歴史を想いながら、この建物を見学してみませんか。


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 参考文献:


「戦前シンガポールの日本人社会‐写真と記録‐改訂版」


シンガポール日本人会 1998年6月27日発行


「星洲星光」章星虹 著 2016年11月28日発行


吉田美代子さん提供写真:日本人会所有


編集・画像:日本人会 史蹟史料部  両頭真衣


 

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