aboutus-banner

Heritage Committee Newsletter (Feb issue 2024)

31 Jan 2024

シンガポールクリケットクラブとパダン広場


史蹟史料部


 


 日本人会は2022年12月に、旧日本人小学校の建物を引き継いだスタンフォードプライマリースクールから、桜の花をモチーフにした木製パネルを譲り受けました(2023年3月号掲載)。史蹟史料部はその後、旧日本人学校の名残を探しに、現在その建物を使用しているスタンフォードアートセンターを訪ねました。リノベーション後、近代的な装飾を施した同センターでは、他に木製パネルを見つけることはできませんでした。しかしセンター長のリナさんより、「旧日本人学校と同じ時代に建てられたフラートンホテル(旧郵便局)や国会議事堂、最高裁判所など、コロニアル建築の歴史ある建物にも、木製の装飾がたくさんありました。パダン広場の前にあるクリケットクラブも、内装にふんだんに木が使われていたと思います。そういえばクリケットクラブも、The Japan clubや日本と関りがあった歴史があるはずです」


 その話を聞いて、クリケットクラブの歴史を調べたところ、National Library Boardのウェブサイトに、このような記述がありました。


 


"During the Japanese Occupation of Singapore (1942‒45), the Japanese used the club facilities for several activities. The SCC pavilion was converted into a Japanese restaurant called the Yamoto that was frequented by personnel of the Military Administration Department. The clubhouse, renamed the Syonan-ko Tonan Club, served as a Japanese officers’ tearoom


and meeting place."


 


出典:https://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_144_2004-12-30.html


 


 旧日本人学校が建設されたのは1921年のことで、日本の占領時代とは異なり、桜の花をモチーフにした木製パネルとシンガポールにおける日本人社会の関りが見つかる手がかりに辿り着くことはないとは思いながらも、友人を介して長年クラブメンバーであるミセス・タンをご紹介いただき、シンガポールクリケットクラブを訪れました。


 シンガポールには多くの会員制クラブがありますが、クリケットクラブは1852年に創設され、シンガポールターフクラブに次いで2番目に古くからある歴史あるクラブです。


 ナショナルデーパレードが行われるパダン広場に面し、ラッフルズホテル、セントアンドリュース大聖堂、シンガポールナショナルギャラリー(旧市庁舎)、旧最高裁判所(現在はシンガポールナショナルギャラリーの一部)、旧国会議事堂 (現在はアートハウス)、ビクトリア劇場とコンサートホール、エンプレスプレイスビル(かつては政府機関で、現在はアジア文明博物館)などの歴史的建造物が並ぶエリアに位置しています。


shiseki-n-feb-2024-1.jpeg (44 KB)


 クラブハウスに入り、まず目に入ったのは歴代の会長名が刻まれたボードでした。1942 / 45 CLUB CLOSED (PACIFIC WAR)


 この4年間が、クリケットクラブは閉鎖され、日本軍がクラブハウスを占領していた時代です。


 ドアをくぐり中に入ると、木製の装飾が施されたメインラウンジがありました。


shiseki-n-feb-2024-2.jpeg (108 KB)


 こちらの木製の装飾には模様は施されていませんでしたが、重厚感のある趣にクラブの歴史を感じました。


 メインラウンジの壁際にはクリケットを始めとしたスポーツで表彰されたトロフィーが飾られ、クラブ創設当時の写真には、現在と同じ、細工が施された柱が写っていました。リノベーションはされていますが、その当時と外観の土台は変わっていないことがわかります。


shiseki-n-feb-2024-3.jpeg (99 KB)


 建物の中心部分、この細工が施された柱とテラスがあるパダン広場に面した辺りがThe SCC pavilionと呼ばれる場所で、ここが日本食レストランとして改装されていたようです。


shiseki-n-feb-2024-4.jpeg (118 KB)


 2階に上がるとファインダイニングThe Padang Restaurantがあります。天井が高く、フルレングスの窓からは、パダン広場をよく見渡すことができます。パダン広場は、ナショナルデーパレードが開催されるシンガポールの代表的な場所であり、F1シンガポールグランプリ開催時には大きなステージが建てられ、ここを訪れたことがある人も多いのではないかと思います。


shiseki-n-feb-2024-5.jpeg (141 KB)


shiseki-n-feb-2024-6.jpeg (58 KB)


 この風景を見て思い出したのは、終戦後に日本軍が爆撃の被害を受けたパダン広場を平地に戻す作業をする様子の写真です。


 


shiseki-n-feb-2024-7.jpeg (85 KB)


 また日本の占領下にあった時代、当地の多くの平地が野菜畑になっていたそうです。野菜畑も、終戦後は日本軍の手によって平地に戻す作業が行われました。暑い当地での作業は過酷で、おそらく感染症なども要因となり、多くの隊員が亡くなったそうです。


 日本人墓地公園のフラワーアーチの奥にある作業隊殉職者之碑は、その人々のために建立されたものです。


shiseki-n-feb-2024-8.jpeg (121 KB)


 クリケットクラブとパダン広場の向かいにあるナショナルギャラリーも、日本の占領時代には昭南特別行政区の市庁舎として使用されていた建物です。


 桜の花をモチーフにした木製パネルに関連する装飾を探すために訪れたクリケットクラブで、その手掛かりに出会うことはかないませんでした。しかしながら、クラブハウスからパダン広場を眺め、1852年創設の歴史あるこのクラブは、シンガポールと日本の暗い歴史を見届けてきたのだと感じました。


 ご案内いただいたミセス・タンにお礼申し上げます。


編集・画像:日本人会 史蹟史料部  両頭真衣


 


 

Heritage Committee Newsletter (Feb issue 2024)