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Hello Interview Ambassador Ishikawa Hiroshi (Sep issue 2023)

31 Aug 2023

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シンガポールと日本の関係を発展させていくことが私の責務です。 


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☆石川浩司大使 プロフィール☆


    兵庫県西宮市に生まれる。 


1986年  外務省入省
1987年 南京大学留学
1989年 スタンフォード大学留学
1990年  在中華人民共和国日本国大使館書記官 (中国赴任1回目)
2002年 国際連合日本政府代表部 一等書記官→参事官(国連1回目)
2006年  在中華人民共和国日本国大使館 参事官(中国赴任2回目)
2008年 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課長
2009年 総合外交政策局安全保障政策課長 
     外務大臣秘書官
2010年 北米局北米第一課長
2011年  アジア大洋州局中国・モンゴル課長
2013年 国際連合日本政府代表部 公使(国連2回目)
2015年 在中華人民共和国日本国大使館 公使(中国赴任3回目)
2017年 大臣官房審議官兼アジア大洋州局、アジア大洋州局南部アジア部
2019年 アジア大洋州局南部アジア部長
2020年 外務省大臣官房長
2022年 駐シンガポール日本国特命全権大使


 


聞き手 


シンガポール日本人学校小学部クレメンティ校教諭 堀内成美 田原口和華子 ルイーズきよ子   
日本人会広報部理事 神田真也


シンガポールに赴任した時の第一印象をお聞かせください。 


石川大使 北京もニューヨークも冬が寒いんですよね。日本以上に寒くて、マイナス10℃くらいですかね。シンガポールはほとんど熱帯で30℃前後ですよね。この結果、体調面ではすこぶる順調であります。また、日本では花粉症に苦しんでいましたが、シンガポールに来たらすっかりなくなりました。シンガポールは気候面で大変に住みやすいと思いました。 


 着任してまず、行事が多いことに驚きました。少し前はコロナ禍だったので、日本との間で人の往来もほとんどなかったのですが、私が来た去年の10月下旬ごろには、日系企業のいろいろなイベントが多くなっていました。11月の中旬には、1日4つのレセプションに出席してスピーチを行い、そのうち3回は鏡割りもしたという日もありました。それくらい日星間の活発な往来を肌身で感じました。大使として、日本とシンガポールの関係を発展させていくことは重要なミッションであり、そういう意味で非常に良いタイミングで赴任させて頂いたと思います。 


大使が外交官を目指したきっかけは何ですか。 


石川大使 城山三郎の「落日燃ゆ」という本との出会いです。これは、A級戦犯として処刑された唯一の文官だった広田弘毅についての伝記調の小説です。戦前、軍部といろいろある中で外交をし、最後は責任を負う形でA級戦犯として亡くなったわけです。その本と中学、高校の頃に出会い、そこから対中外交を意識するようになった、というのがきっかけと言えるでしょうか。  


今までのご経験の中で辛かったこと、良かったと思えることはどんなことがありますか? 


石川大使 2002年から2006年に国連代表部に勤務している時に、私はたまたま安保理改革に携わっていました。2005年は国連ができて60年だったのですが、国連改革の気運が大変盛り上がりました。現場主導でG4と呼ばれる国々(日本、ドイツ、インド、ブラジル)がその気運を作っていたんです。日本が常任理事国になることを目指しましたが、結果的には残念ながら決議案は出来たものの投票にはいたりませんでした。しかし2003年ぐらいから、いろいろなことを考えながら、外交的な働きかけを行って安保理改革の気運を盛り上げ、あと少しのところまでもってこれたことは非常に貴重な経験でした。その当時、私が英語で寝言を言っていたと妻が言っていますが、それほど仕事に没頭していたということですね。 


 逆に辛かったことは、中国・モンゴル課長の時、尖閣諸島を巡り日中関係が非常に厳しい状況になり、同時に台湾との関係も難しいものになり、こうした事態に対処するため日夜頭を悩ませていた時です。ただ、そうした辛い中でも、打開策を思いついたり、リスクをとって対応したりという経験もあり、今から振り返ると大変充実した時間を過ごしたように思います。 


大使として一番取り組みたいことを教えてください。 


石川大使 重要な任務としては、どのようにしてシンガポールと日本の関係を強く発展させていくかが基本です。重要なのは人の往来であり、ハイレベルな人の往来もあれば、草の根レベルの人の往来もあります。去年はリー・シェンロン首相が1年のうちに2回訪日されました。5月には「日経アジアの未来」の会議に出席、9月には故安倍総理の葬儀にご夫妻で参列頂きました。また岸田総理は昨年6月に各国の大臣がシンガポールに集まって開催されたシャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)という安保防衛のための重要な場に、キーノートスピーカー(基調講演者)として参加されました。今年も岸田総理が5月にアフリカ訪問をされ、その帰国途次にシンガポールに立ち寄られることになったため、首脳会談を申し込んだところ、リー・シェンロン首相がわざわざ空港に出向いて下さり、貴賓室で昼食会を開いて頂くという、非常に暖かい対応をしてくださいました。この他に大臣クラスの方も頻繁にシンガポールに来られるので、そういう意味では日星間の関係は非常に良い感じで来ています。 


新型コロナウイルス(COVID-19)がほぼ終息した状態で日本人に求めることはなんですか。 


石川大使 今、シンガポールの方の日本に対する感情は非常にいいと思います。信頼する国はどこですかと尋ねると日本と答える人が最も多いです。「日本人は外れたことをしない」とシンガポールの方がイメージを作ってくださっているので、それを大事にしていきたいですね。このような信頼感は一朝一夕に出来上がるものでなく、シンガポールが国を発展させる上で、日本企業が非常に貢献してきたことも大きく寄与していると思います。しかし一方、戦争中の負の歴史については、シンガポールに住む日本人の方には、しっかりと知っておいて頂きたいと思います。国立博物館に行くとそういうコーナーもあります。 


日本人として一番シンガポールから学ぶべきことは、どんなことだと思われますか。 


石川大使 日本がシンガポールから学ぶべきものとしては、デジタル分野の取り組みがあると思います。ただ都市国家であるシンガポールと地方も含めた人口の多い日本とでは、なかなかデジタル化に向けた難しさが違うと思いますので、そのまま真似をすることはできませんが、シンガポールに先進的な点を学ぼうとすることが大切だと思います。 


リー・クアンユーさんという指導者についてどう思いますか。 


石川大使 65年の独立時には、シンガポール国民は本当に「どうなるんだろう」と将来に不安一杯であった訳ですが、リー・クアンユー首相(初代)が色々考えて、ここまで国を発展させたのだと本当に感じます。もしかしたら国がなくなってしまうのではないかというところから、ここまで発展させてきたことの根底には、国家の生存に関する非常に強い危機意識があったと思うんですね。これはやっぱり、シンガポールの指導者の対処の仕方にも影響を与えていると思います。 


 たとえば、チャンギ空港も立派な空港ですけれども、さらに3本目の滑走路、5つ目のターミナルをつくっていますね。あれができると年間1億3千500万人の集客に対応できると聞いています。またシンガポール港は、上海に次いで世界で2番目のコンテナ取り扱い量の港ですが、さらに今、これを移動させてシンガポールのTuasに更に大きな港湾をつくろうとしています。これも、シンガポールは地域のハブであり続けなければいけないという危機意識が背後にあると思います。 


 リー・クアンユー回顧録という日本経済新聞社が出している、シンガポールを理解する上で非常に重要な書籍があります。ただ問題はすでに絶版になっていることです。先日、Amazonで調べると約2万円の値がついていました。関係者には是非再版してくださいとお願いしています。ちなみに、英語版は当地でも購入できますので、是非御一読をお勧めします。 


シンガポールの方々に日本の何をアピールしたいですか。 


石川大使 日本社会の普通のあり方が、結構外国の人からは驚きであるということに、私が中国にいる時に気づきました。我々が当然のことのようにやっている、赤信号であれば止まるなどですね。私が中国に勤務しているときに時々日本に帰ると、夜中に車がほとんど走っていないのに赤信号で歩行者が止まって、信号が青に変わるのを待っている。これをどう見るか。自分の内面にしっかりした規範をもっているということだと思います。我々は当然だと思っているから意識はしないですけど、実はそういったところが外国から見ると驚きだったりする訳です。ワールドカップでも日本人はごみを拾って帰って、驚きだ!といわれていますが、我々は普通に行動していることだと思うんです。そして、こういった日本人らしさを日本人は守っていかないといけないと思います。 


プライベートの時間には、どんなことをしていますか。 


石川大使 今住んでいる大使公邸がボタニックガーデンのすぐ横ですので、ほぼ毎朝、20分くらいジョギングをしています。空が明るくなるかならないかくらいの時に、多くの方が走っています。あとは、ゴルフですね。 


 文化的なことで言いますと、中国に長く住んだ関係で書道は好きです。全然上達しなくて、家内からは、これだけ上達しないのに続けているのはすごい、と感心されています。あとは、ここでは続けられていないのですが、日本にいる時は漢詩も作っていました。これがなかなか頭を使いまして、老化防止にいいんですよね。いろいろな規則があって、韻を踏んだり、平仄(ひょうそく)を合わせたりします。今はシンガポールにいて授業に出られないのでお休みしています。 


シンガポールにいる日本人の子どもたちに向けて、どのように育ってほしいと思われますか。 


石川大使 教育水準の高いシンガポールの中で、日本の子どもたちもシンガポールの子どもたちに負けないように、高いレベルの教育を提供してもらっていると思います。子どもたちにはシンガポールで得られる経験や活動を通じて、シンガポール社会のもつ多様性にも触れながら、ここシンガポールでたくましく成長を遂げてほしいと思います。 


 その中でも、特に中学生、高校生の皆さんには、自分が将来何をしたいかな、ということも考えてほしい。本や人と会うこと、いろんな体験を通じて、将来自分がやってみたいことを見つける意識をもって過ごしたらいいんじゃないかなと思います。 


日本人会に期待されることは何ですか? 


石川大使 当地の日本人会はとても伝統があります。とても立派な活動をされていると思いますし、日本人会による日本人墓地公園の管理に関してもありがたいと思っています。また、ボランティア活動などを通じて、シンガポールのコミュニティとの関係も引き続き大切にしていただければと思います。シンガポールの方々も日本人会に対しては大変ポジティブなイメージを持ってくださっているので、ずっとそのような存在であり続けていただければと思います。 


本日はありがとうございました。 


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<インタビュー後記>


 今回は石川大使にインタビューを行いました。まずは初めての大使館内での取材ということもあり、緊張をしていましたが、石川大使が穏やかに答えてくださったので、落ち着いてお話を伺うことができました。 


 着任されてからは、コロナ禍後だったので日本からの来客も多く、企業のイベント、レセプションのスピーチなどが1日に何回もあり、忙しい日々を過ごされていたのが分かりました。その中で日本とシンガポールをどのように繋げて発展させていくかを考えておられたというところに、石川大使の熱意を感じられました。 


 石川大使の座右の銘は「報恩感謝」。周りの人たちに支えていただいていることを忘れずに仕事していこうという思いを伺いました。私自身も日本人学校で教師がしていること、周りの人たちに助けて頂いていることを忘れずに、感謝の気持ちで過ごしていこうと改めて感じることができました。 


 ご多忙の中、インタビューにご協力いただきありがとうございました。


 


文責:堀内成美 田原口和華子 ルイーズきよ子 (シンガポール日本人学校小学部クレメンティ校教諭)


写真提供:在シンガポール日本国大使館

Hello Interview Ambassador Ishikawa Hiroshi (Sep issue 2023)