aboutus-banner

Hello Interview Ambassador Jun Yamazaki (June issue 2022)

30 May 2022

hellologo.jpg (638 KB)


36,000人のシンガポール邦人社会の安心安全の確保が、まず重要だと思っています


hello_interbiew_June_2022_3.jpg (204 KB)


山崎 純大使 インタビューの様子


☆山崎 純大使 プロフィール☆


東京都出身 東京大学教養学部教養学科1980年卒業 
外務公務員採用上級試験合格
1980年  外務省入省
2002年  国際連合日本政府代表部参事官
2004年  国際連合日本政府代表部公使
2008年  国際連合事務局(ニューヨーク)に出向
2011年  国際連合日本政府代表部大使
2014年  外務省儀典長
2015年  駐スウェーデン特命全権大使
2018年  駐シンガポール特命全権大使
 奥様とお二人でシンガポールに在住
 お二人のご子息は、日本で就職、居住


聞き手 


日本人学校小学部クレメンティ校教諭 
山根香奈子 越智建喜 永地志乃 前島祐太
日本人会広報部理事 神田真也


 


大使が、外交官を目指された理由やきっかけはどんなことですか。


山崎大使:私、小学校の時にニューヨークにいまして、1960年代ですけど、その頃はニューヨークに日本人学校もなくて、補習校もやっと始まったくらいの時だったと思います。私は現地の普通の公立の学校に通っていて、自分のクラスに日本人はそんなにいなかったんですね。私のことを中国人だと思っている友だちもいて、クラスの友だちは日本というものをあまりよく知らなかったように思います。そのような中で、日本という国を意識した記憶があります。


 その後、日本文化とそれ以外の文化との違い、あるいはその背後にある考え方がどう違うのかということを、結構意識するようになって、それぞれ異なる国同士でつき合っていくときに、日本の文化とか日本人としての考え方というものを、正しく伝え、よく理解してもらうということは、やっぱり重要だなというふうに思うようになりました。


 そこから先、いろいろな職業がありうるんだろうと思うんですけど、一つ、外交官というものになってもいいかなと思ったんですね。


外務省に入省されて、ずっと、外交のお仕事をされてきたのですか。


山崎大使:はい。入省したのが1980年、昭和55年です。そこから先は、ずっと、外交にたずさわってきました。


幼少期から外交官を目指されていたのですか。他に何か夢があったのですか。


山崎大使:夢ですか…。誰しもいろんな夢があると思うんですけど、私も、例えば、音楽家になってみたいとか、脳細胞の研究者になりたいとか、そういうふうなことを思ったこともありましたが、やっぱり、自分には向いていないことを悟って、これは断念しました。


 あと、物書きになるというのも関心がありましたけど、一種、今の仕事っていうのも、とくに在外にいて、日本にいろんなことを報告するっていうのは、結局は、物事を文章で書くというところ、かつ、割と簡潔に、でも誤解を生じないようにちゃんと必要十分に文章を書くっていうのが求められていて、そういう意味では、昔から関心をもっていたことを使って仕事をしている部分もなくはないと思います。


 ただ、外交官はそれだけじゃないんです。いろんな人に会って、いろんな話をして、説得するという場合もあるし、場合によっては、向こうがまず何を言いたいかって、いろいろな情報を集めるという仕事もあるわけで、人とコミュニケートするっていう部分が大切です。


 それプラス、それを簡潔にちゃんと正確に、必要十分にまとめて文章にして報告するというのも、一つの能力だと思います。だから、最初に思っていたことの、ある部分は実現しているのかもしれないですね。


先ほどのお話にも出てきたのですが、外交官としてのやりがいや、今まで仕事をされてきて、うれしかったということがあれば、お聞かせいただきたいと思います。


山崎大使:外交官は、国を代表して交渉にあたります。でも、相手国と自分の国の国益というものが違うわけです。日本には日本の国益があって、それを守らなければいけないし、それをどうやってちゃんと維持していくかということが重要です。そうすると、日本として主張すべきことは、やっぱり主張するし、守らないといけないものを守るために、いろんなことを政策立案するし、主張もするわけですけれど、日本の立場っていうものを、相手の国にも正確に理解してもらうことが必要です。だから、その場合に、理屈や言葉が一つ重要なポイントで、どういうふうに立論するか、どういうロジックで相手を説得するかをよく考えて話をする必要があるわけです。つまり、相手が、理解できる理屈で話をする、立論するということが結構重要だと思うんです。


 日本人同士だったら、途中の論理を省いても、ある程度、話は通じるんだと思うんですけど、必ずしも、それがそうでもない場合が、普通だと思うんです。その場合、相手にまず理解してもらうためには、まず日本は何を求めているかというのがあって、そこから、なぜそういうふうに思っているかというところを、相手に分かる理屈で順序立てて言わないと、相手もよく分からないわけです。


 2国間の場合は、それで何とかなる場合が多いのですが、もうちょっとたくさんプレーヤーがいて、多国間で交渉しなきゃいけないことになると、ある意味もっと複雑になるんです。私は国連の日本政府代表部にいたんですけど、今、国連って193か国が加盟しているわけです。この193か国の間で何らかの合意に達するのは大変な話です。日本が、日本として追求したいことを実現したければ、多数決の世界なので、どれだけ多くの国が味方になってくれるかというのが、まず大事なんですね。そうすると、日本が言っていることは一貫していないとダメなんですけれども、多数を形成するためにいろいろな国を地道に説得することが、まずあるわけです。それで、だんだん多数を形成できるようになってくると、それはそれで、達成感があります。


 私が、日本政府の国連代表部にいたとき、2012年の話なのですが、日本は人間の安全保障(ヒューマン・セキュリティ)ということを外交の柱として言っていたんですけども、それが国連総会において、コンセンサス採択によって決議されることを目指しました。コンセンサス採択は、投票に付さないで、みんながこれでご異議ありませんかということで、誰も反対しないで採択されることを云います。もちろん、採択に際して、各国がいろいろ発言をするというのは、あるんですね。ただどこか1か国でも、投票を求めれば、これは投票に付されるわけですけれども、そういうふうにはならないで、人間の安全保障の決議を総会の総意としてコンセンサスで採択することができました。この決議においても各国の立場は微妙に違うところがあったので、意見が収斂したところのものしか決議には書けないわけなんですけど、そういうものを半年くらいかけてつくったということがありました。


 そのためには非公式協議をいろいろな国と、ずっと何度もやったわけです。それを一緒に推進してくれた国が、ヨルダンだったんです。共同ファシリテーターになってくれたわけですね。そういう中で、分担していろんな国に働きかけをしました。そういう経験はなかなか得難いもので、達成感があったという感じを私はもちました。それが一つ。


 それから、もう一つは、全く違うんですけど、シンガポールに来て、2019年に日本の文楽の本格的な公演を行いました。それまでに人形づかいの方が来るとか、部分的なものはあったかもしれないのですが、本当の意味での文楽の公演は初めてだったわけです。それが、シンガポールに一行が来て、公演をしていただくことができたんです。これはやはり、ここの日本人コミュニティの方々の多大なご支援とご協力があって、実現したものなんです。その過程で、みなさんから、資金的な話も含めて、大変な協力をしていただいた。その効果は私は非常にあったと思うんです。シンガポールでの実際の公演当日、前の大統領トニー・タン夫妻とか、ヘン・スイキャット副首相夫妻など錚錚たる方々がお見えになったし、それ以外にもシンガポールの多くの方々が見に来てくれたということで、非常に関心が高くて、こういう日本の伝統的な文化をここで披露できたのは、私にとってやりがいのある仕事になったというのが記憶に残っています。


逆に、今までで大変だったな、辛かったなという経験はどんなことですか。


山崎大使:外交って地味な仕事なんですね。どっちかというと、地味な仕事の積み重ねっていうような仕事です。そういう意味では、耐久レースのようなところがあります。だから、ある意味ではそういう中で、日々、直ちに成果が出るっていうことでもないことが結構多いんですけど、その中で、めげずに頑張るっていうのが必要ですね。


 あと、個人プレーでやっているように見える部分もあるかもしれませんけど、そうではなくて、組織として取り組まないと、ダメだと思うんです。そういう意味で、組織っていうのは日本政府全体ということなんですけれども、その中でチームプレーとしてやっていくと、いろんな部分が上手くかみ合って、前に進んでいくというところがあると思います。だから、組織内でのマネジメントで苦労する部分もあります。


 もっと言えば、ある意味一番難しいのが、相手のある話なんで、日本が一人でとっている相撲じゃなくて、相手がいろいろと違う、予想外のいろんなことをしかけてきたりするし、それから、なかなかこっちが説得しても相手もその通りに動いてくれないっていう場合ももちろんあるわけです。そういう時に、どうするかという、なかなかフラストレーションがたまるっていうのがあります。でも、そういう中で、とにかくめげずに頑張るということしかないという感じがします。


 その他にも、仕事をやる時に、どんな仕事でも同じだと思うんですけど、スピード感をもってやるということと、もう一方では、ある程度正確にやるというか、求められていることの正確性っていうことも必要なんですね。この二つはトレードオフみたいなところがあるんですけど、両方求められているっていうところもありまして、これはなかなか気を遣います。でも、まずはスピード、迅速にやるということが重要だったりします。ただ、これも仕事の中身で、正確性が究極的に求められる仕事も、もちろんあるんですね。だから、仕事の中身に応じていろんな気を遣って、これはどういうふうにやることが求められているのかということをよく考えて、仕事をやることが大切じゃないかなと。


 だから、辛かったっていうことはありますが、私はできるだけ辛いことは忘れて、いいことだけを覚えておこうと思っている部分があるので、あまり辛いという感じで申し上げていないですけれども、フラストがたまるものがいろいろとあるんですね。


辛いことは忘れていくべきということですか。


山崎大使:完全に忘れるわけではなく、できるだけ物事はポジティブにとらえて、そこから学ぶところは学んで、前に進むっていうことじゃないでしょうか。


シンガポールに赴任されて、どんなことに力点を置かれて仕事をされていますか。


山崎大使:まず、ここに36,000人の邦人の方々がおられます。邦人社会の安心安全の確保がまず重要だと思っています。ただ、幸いなことに、シンガポール政府は、初代のリー・クアンユー首相の時から、日本のビジネスの方々がシンガポールに進出してこられて、ここで気持ちよくビジネスを展開していただくということが、何より、シンガポールにとっても非常に重要なことだととらえて、ずっと運営してこられているので、治安だとか、衛生面でとか、それからビジネスを取り巻く環境ですね。そういうものの整備、もっといえば、例えば日本人学校を設置するというようなことでも、政府は色々と便宜を図ってくれたんだと思うんですね。


 シンガポール政府は、日本人のビジネスマンなどいろいろな方々がその家族と一緒に来られて、ここで安心して生活ができる状況をつくってくれていますし、日本側としても対話をしながら、改善の余地があれば、いろいろとお願いをするという関係だったと思うんですけども、基本的には非常にかみ合っていて、シンガポール政府は日本のビジネスの社会とか、日本人の要望を真摯に受け止めて、対応してくれているというふうに思っています。


 あと、私が何に力点を置いて取り組んでいるかということですけど、日本の企業の方々が、あるいはシンガポールの企業の方々もそうなんですけど、お互いの国で活発な経済活動を営むことができるように、側面支援できることは大いにさせていただくということを心掛けています。ビジネスの方々、それ以外の方々も、要望があればですね、我々も随時お話を伺って、必要があればシンガポール政府にもコメントをするというようなこともやってきているわけです。それも、いろんな面でやらせていただいていますけど、シンガポールって割合と透明性をもってルールとかもつくっており、外に対して開かれた社会をつくっていますので、それほど大きな問題が生じているわけではないと感じています。ただそういう部分は、もちろん、ずっと気を遣いながら、対応していく分野だと思っています。


 それから、ここシンガポールは何といっても、色々な国の方々が、ビジネス、あるいはそれ以外の形で来られている社会ですから、そこで、いろいろな国の方々と交流する、あるいは会っていろんな話をして、情報交換するという意味でも、重要なところなので、その分野でも意を用いて取り組んでいるところです。


他にもシンガポールの魅力として感じておられることはありますか。


山崎大使:さっきも言ったのですが、治安とか衛生面でとか非常に良好な環境があるということは、何といってもシンガポールの一つの魅力ですし、シンガポール自身が外国から人を受け入れようと意欲があって、観光客とかそういう形でも多く受け入れたいという立場におられるわけですね。


 ここ2年はコロナの関係で、人が入って来られないというところがありますけれど、基本的には外に向かって開かれた社会を維持していこうという立場は変わらないと思うので、そういうところはシンガポールの魅力だと思います。


 あと、ここは、多民族・多文化・多宗教・多言語をもった社会です。すなわちダイバーシティ、多様性をもった社会であるわけですけれども、その辺が日本とは異なる社会のあり様で、それに伴う色々な魅力をもっていると思います。いろんな言葉に接することもできますし、食文化でも、いろんなものがここに存在している、そういう人たちにも会える、それが魅力だなと思います。


 それから、シンガポールは一種のハブ機能を果たしていて、様々な国の人がここに集まってくるので、それらの人たちに会えるっていうところも魅力なんだと思います。


hello_interbiew_June_2022_2.jpg (234 KB)


大使館内でのインタビューの様子


 


お休みの日は何をされていますか。


山崎大使:公園に散歩に行ったりとか、読書をしたりしています。


 それ以外にも、土曜日とか日曜日とかに半分公務みたいな話ですけれども、例えばこの間は、チンゲイ・フィフティがありました。ジュエルというチャンギ空港の隣にあるところで、今年は、本当の意味でのパレードでもないんですけど、そこにミニチュアの山車みたいなのが出てきたのですが、それに招待されて行きました。


 ただ、それを見ていても、日本人会がこれまでチンゲイパレードを大切に思われていて、山車など立派なものを作られて、何か月も前から予行演習をされて、パレード全体を盛り上げるのに貢献されているわけです。そういうのが、今年はできなかったのは残念ですけれども、来年になれば、再びF1ピットでパレードができるようになるといいなと思っています。


来星2年目、1年目の私たちもチンゲイパレードを経験してみたいなと思いました。


山崎大使:あれは、なかなか面白いというか、何ていうんでしょうね、あれを見ていて思うのは、一種の町内会の拡大版のような感じですよね。もともとは中国のお祭りみたいなところからスタートしているんでしょうけど、この国の政府としても、単に中華系の人だけがそれに参加しているのは良くないだろうと思ったんだろうと思います。だから、マレー系の人もいるし、インド系の人もいます。


 プラス、日本人会みたいに、シンガポール人だけじゃない人々も入るようなことも、ある程度前からやっているわけです。この国のいろいろなダイバーシティの中で、みんなが一緒になってやるというイベントに仕立てているという、そういうのに、日本人会が貢献していただいているのは非常に良いことだなと思います。私は2回ぐらいパレードに参加したことがありますけれど、非常にいいなと思いますね。


外務省以外からも大使館に配属されて来ている方がおられるのですね。


山崎大使:そうですね。もともと外務省に入省した方だけでなくて、大使館を構成している人間は、いろんな役所の方がいます。それぞれの役所から外務省に出向というかたちで身分上は一時的に外務省の人間になって大使館に赴任していただいて、だいたい3年くらいですかね。ここで一緒に仕事をさせてもらうということなんですけど、結局、日本の外交というのは、外に向かっては外務省が担っていますけど、扱ういろんな物事、テーマは日本国内ではいろんな役所が扱っているわけです。


 例えば、運輸関係ですと国土交通省が扱うし、一般の製造業っていったら経済産業省があるし、財政みたいな話になると財務省があるわけですし、国防・防衛という話になれば防衛省がかかわっているわけです。さらには警察ももちろんあるわけですよね。いろんな役所の方が、ここの大使館に出向されてきて、我々はチームを作って、オールジャパンとして、仕事をするということが非常に大事です。それは、私はうまくワークしているというふうに思っています。


 たとえば、警察庁から来ている人もいますが、警察官というのは日本国内の治安を守るのが一義的な話としてあるわけですけれども、日本国内の治安を守るためにも、国際社会の中でどんな犯罪が行われているかという情報交換も必要ですし、あるいは、他の国ではどうやって同じような問題に取り組んでいるのかとかですね、そういうところの情報交換が必要なんです。そこからお互いが学べることがあるわけです。


大使のお仕事は、多岐に渡っており大変だということがわかりました。大使の座右の銘をお聞かせいただけますか。


山崎大使:座右の銘っていうほど仰々しいものはないんですけど、たまたまあるシンガポール人のフェイスブックを見ていて、おもしろいなと思った言葉を見つけました。これ、英語しかないんですけど、マーク・トゥエインというアメリカの作家の名言が紹介されていました。


 かいつまんで申し上げると、マーク・トゥエインが1869年に出した『The innocents abroad』という本があって、ヨーロッパ旅行へ行ったときのことを書いています。その時に書いたことから引用されているんですけど、そこで言っていることは、「旅行することによって、広い見識とか、人に対する優しさとか、いろんなものの見方、世の中には違う見方があるんだなというものを学ぶことができる」ということだと思います。要は、「旅をしろ」ということです。


日本人会や日本人学校に期待することを教えていただけたらありがたいです。


山崎大使:まず、日本人会ですけども、日本人会って非常に歴史のある会であられて、大変立派な会だと思います。日本人会館を運営されていますし、日本人会館にある「茜」とか「どんぐり」では、食事もおいしいなと常々思って食べさせていただいています。日本人会館を運営して、いろいろなグループ活動とか同好会とか、そういう会員のみなさんに集いの場を提供しているのは非常に重要な活動だと思います。それから、日本人学校や日本人会クリニック、日本人墓地公園の運営、管理そういう面で多岐にわたる活動を実施してこられているわけですよね。さらには、今回コロナの影響で中止になったり規模縮小となったりしていますけども、チンゲイパレードへの参加とか、あるいは、夏まつり、オープンハウス、そういうものの開催もやっておられるわけです。


 こういうチャリティ活動とか文化活動を通じて、日本とシンガポールとの間の友好と親善に積極的に寄与されておられるわけです。私としての期待は、これからも引き続きこういう在留邦人の拠り所になるとともに、シンガポールとの幅広い分野での交流に寄与していっていただけると大変ありがたいなと思っています。


 あと、日本人学校については、まず先生方がよくやっていただいていると思うんです。それで、日本人としてのものの考え方、あるいは日本文化、そういう面での教育は重要なんじゃないかなという気がします。日本ではないここの社会に身を置いている生徒さんたちなので、おのずと日本に関心を抱かれているのではという気もします。だから、別の言い方をすれば、シンガポールにいながら日本の教育を受けているということですから、その経験を生かしていっていただきたいなと。また、学校の方もそういう利点を生かした教育を進めていただけるといいのかなと。日本国内でやっている教育とはちょっと違う場でやっておられるわけですから、せっかくのそういう機会ですからうまくそれを活用していただけるといいかなというふうに思います。


最後に、日本とシンガポールの両国がともに発展していくために、お互いがお互いから学ぶべきこと、また、協力すべきことはどんなことだとお考えですか。


山崎大使我々がシンガポールを見た場合のことを申し上げると、シンガポールってやっぱり、デジタル化が非常に目を見張るものがあると思います。それで、端的に言って、スマホの端末から一括していろんなことを操作できるシステムを迅速に導入して、セットアップするっていうか、そういう体制を作ることをどんどんやっているわけですけども、これは日本は大いに学べるところだと、私は思います。


 それから、文化的、民族的多様性っていうものを内包した社会ですから、一方においてシンガポールという国においての一体性というものを維持していかねばなりません。多様性っていうのは下手をすると社会に対する遠心力みたいな部分も働くわけですけれども、そういう中にあって、シンガポールのアイデンティティ、要するに一体性を維持していくために、相当な努力をしているところを、参考にすべきだと思います。社会の中における多様性を良さとして受け入れて、でも社会としての一体性というものをどうやって維持していくかというのは、これからの日本にとても大事な話ではないのかなと思います。そういう意味で参考になると思いますね。


 それで、逆に、シンガポールの側から日本を見たときに、いろんなシンガポール人と話をしていて感じるのは、日本のいろんなモノづくりの現場での細部へのこだわりが、日本にはあると思うんですよ。そういうところから生まれる素晴らしい技術が、日本にはあると思うんです。その他にも日本の造形美とかそういうものをシンガポール人が非常に魅力として感じてくれているのかなと。


 それから、シンガポール人がこれだけ「いつになったら日本へ旅行に行けるようになるんだ」と言っているのも、シンガポール国民は総じて、日本のファンになってくれているわけですけれども、何でファンになってくれているのかなと思うと、今言ったようなこともあるし、プラス、日本人のあり様みたいなものに対しても魅力を感じてくれているのかなと思います。日本人ってあまり嘘を言わないとか、まともな人たちだと、そういう感じをもっているんだと思います。だから、それを裏切らないようにするということも非常に大切かなと、私は思います。


 あと、シンガポールとの間で、ともに発展していくということを考えた場合に、いろんな新しい技術を社会の中で実際に改良していく上でどうするかっていうときに、シンガポールは、自分の国を一種のテストケースとしてどんどん使ってみてくださいと言って、そのためにはいろいろな規制を一部緩和するというようなことも思い切ってやっているわけです。日本のスタートアップ企業もシンガポールのそういう面を大いに活用することができて、実際そういう事例は出てきているわけですね。そういうお互いがウィンウィンの関係で一緒に発展していくことは大いにある話だなという感じを強くもっています。


 日本のビジネスのいろんな方々がもっておられるアイデアを、シンガポールへ持ってきて試してみるとか、シンガポールの企業と一緒になって、場合によっては第三国で協力するとかですね、いろんな可能性を大いに秘めている関係じゃないかなというふうに思っています。


今日は、お忙しい中、様々な質問に答えてくださり、ありがとうございました。


 


<インタビュー後記>


 相手国を理解しながら、いかにして日本を理解してもらい友好関係を築いていくか、42年間外交官一筋に真剣に取り組んでこられた山崎大使の熱意や生き方をひしひしと実感することのできた貴重な時間となりました。


 「組織として取り組む」「めげずに頑張る」「スピード感をもってやる」「正確にやる」など当たり前のことのようですが、私たちが疎かにしがちな大切なことを、かみしめながら語られる一言一言を、うんうんと頷きながら聴かせていただきました。そして、今自分に与えられた役割を真剣にこなしていきたいと強く感じました。


 シンガポールに36,000人在住している邦人社会の安心安全の確保を最も重要な仕事ととらえ、力点を置かれて仕事をしてくださっているということをお聞きして、コロナ禍、ウクライナへのロシアの侵攻など混沌とした世界情勢の中、シンガポールに住んでいる在留邦人として、有難く、心強く感じました。また、日本や日本人を受け入れてくれるシンガポールを尊敬し、シンガポールから真剣に学ぼうとしているお姿には、さすが外交官と感心させられました。


 その中で私たちは、両国を繋ぐために何ができるか、民間大使になりたいという思いをもちました。小さなことでいいから今できることに取り組もう、限られたシンガポールでの生活だからこそ一日一日を大切にしていきたいと、一歩踏み出す勇気を与えられました。


 このような機会を設定し、有効なものにしようといろいろなご配慮を行ってくださった在シンガポール日本大使館領事の小林秀彦様に心より感謝いたします。本当に、ありがとうございました。


 


hello_interbiew_June_2022_1.jpg (243 KB)


インタビュー後の記念撮影


(左から)永地志乃教諭、前島祐太教諭、山崎純大使、越智建喜教諭、山根香奈子教諭、神田真也日本人会広報部理事


インタビューは2022年3月22日、在シンガポール日本国大使館にて行われました。

Hello Interview Ambassador Jun Yamazaki (June issue 2022)