Remnants of the past still remain vol.1 Heritage Committee Heritage Study Group (Jan issue 2023)
22 Dec 2022
過日、Tanjong PagarにあるSingapore City Galleryを訪れた際、展示されていた2枚の写真が目に留まりました。そこにはここ10年余りの間に凄まじい勢いで変貌を遂げたシンガポールの姿が映し出されていました。今ではシンガポールのアイコンとなり、観光客や地元の人々をひきつけ続けるマリーナベイサンズも、アートサイエンスミュージアムもわずか10数年前の写真には存在しません。にわかに信じられないほど違う姿の2枚の写真を見ていると、ふと昔から残る建物への興味が湧いてきました。そこで、今回は激動の歴史の中にありながら、今もなお残り続ける建物に焦点を絞って紹介していきます。興味をもたれた方は実際に足を運んでいただけたら嬉しく思います。
◆The Fullerton Hotel (ザ フラトン ホテル)
シンガポールを海軍の攻撃から守ってきたフラトン砦(1829〜73)の跡地に建設され、1928年に完成しました。当時、フラトンビルはシンガポール全土の道路距離を測定する基準地点“Mile Zero”として位置づけられ、中央郵便局 (GPO)、現在のシンガポールタウンクラブ、商工会議所、貿易産業省等の政府機関が設置されました。
改修工事を経て、2001年 Fullerton Hotelとして開業。2015年国定記念物として正式に公告されました。
また、シンガポールで最も有名な国宝のひとつである「シンガポール・ストーン」も、このビルから発掘されたものです。
◆The Clifford Pier (ザ クリフォード ピア) / The Fullerton Bay Hotel
1854〜56年にシンガポールで最初の船着き場として建設されたJohnston‘s Pier。この桟橋ができる以前は、主だった船着き場と呼べる場所はなく、1819年にラッフルズが初めて上陸した時のように、シンガポール川に船をつけ上陸するのが主な方法でした。その後Johnston’s Pierから引き継ぎ、セシルクレメンティ海峡植民地総督によって1933年に完成した埠頭、クリフォード・ピアが、シンガポールへの船客や移民の主要な上陸地点となりました。
かつてクリフォード・ピアには赤いオイルランタンが吊るされ、行き交う船に注意を促していました。シンガポールでは「レッドランタン・ピア」という愛称でも親しまれました。
2006年に操業を停止。改修工事を経て、2009年にThe Fullerton Bay Hotelが開業し、2014年〜The Fullerton Bay Hotelのレストラン“The Clifford Pier”として営業。
また、このクリフォードピアにはマハトマ・ガンジーの遺灰の一部散骨を記念するプレートが設置されています。
◆Raffles Hotel (ラッフルズ ホテル)
1830年代初頭に建てられた個人所有のビーチハウスを改装し、1887年にアルメニア人のサーキース兄弟によって全10室のラッフルズホテルが開業されました。その後大規模な改築を経て、1899年にはこの地域で最初に電灯を導入したホテルとなりました。1915年には全室スイートルームという今のスタイルがスタート。1942年日本軍のシンガポール占領下では、朝日を望む東側に正面玄関を移し「昭南旅館」と改名した。その後1987年国定記念物として正式に公告されました。
また、宿泊客はラッフルズホテルの歴史ツアーに参加し当時の話を聞くことが可能です。
◆Cast-Iron Fountain (キャスト アイアン ファウンテン)
現在Raffles Hotel内のパームガーデンにあるこの噴水は、もともとは違う場所に設置されていました。スコットランド、グラスゴーでウォルター・マクファーレン社によって作られ、1890年代初めにシンガポールに持ち込まれました。 この噴水はかつて「ビクトリアン・ファウンテン」と呼ばれ、19世紀末にTelok Ayer Market(現在のLau Pa Sat)の中央に設置、1902年にはOrchard Road Marketの入口に移されました。
市場が閉鎖されると、1930年代にカトンのグランドホテルに移され、噴水は一度解体されました。その後、改めて発見され、完全な修復が行われると、1989年に本物として認定を受け、Raffles Hotelに寄贈され、現在に至ります。
◆The Capitol Kempinski Hotel (ザ キャピトル ケンピンスキー ホテル)
Capitol Theatreに隣接する2つの建物(キャピトル・ビルディングとスタンフォード・ハウス)を政府が買収し、何年にもわたる修復を経て、2018年にザ・キャピトル・ケンピンスキー・ホテルとして開業しました。
写真のナマジー・マンションは、1930年に完成すると、1946年「Shaws Building」、1992年「Capitol Building」と名前を変えました。
ちなみにCapitol Theatreは日本占領時代、劇場は「京映劇場」という名称で運営されていました。
◆JW Marriot South Beach Hotel (JWマリオット サウス ビーチ ホテル)
1933年に建てられたドリルホールは、海峡植民地義勇軍(SSVF)の演習場として、また兵士たちが軍事教練を行っていた場所でした。
1954年に徴兵制が導入されると、新兵の登録センターと国家公務員の訓練所として利用され、同年、軍人400人の最初の合格パレードがここで行われました。
また、日本軍のシンガポール侵攻で犠牲になった義勇軍の隊員を追悼する記念プレートが、1950年に建物の外側に設置されています。
出典1:Singapore City Gallery
出典2:https://thefullertonheritage.com/our-heritage(閲覧日:2022年1月)
出典3:National Archives of Singapore / HP; https://www.nas.gov.sg/archivesonline/photographs/(閲覧日:2021年7月)
出典4:「A Life Intertwined」 p.5
出典5:「Singpore - A Pictorial History 1819-2000」 p.129
出典6:「Singapore 500 Early Postcards」 p.174 https://shop-capitolkempinski.com/pages/our-story-the-capitol-kempinski-singapore(閲覧日:2022年8月)
出典7:「Singapore 500 Early Postcards」 p.147 https://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_1050_2008-10-23.html (閲覧日:2022年8月)
文責・写真:史蹟史料部 歴史友の会
伊地知ふゆ彦・由美子
