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史蹟史料部 ニュースレター 新嘉坡日本人小学校の面影(4月号2023年)

31 Mar 2023

桜の花をモチーフにした木製パネル


史蹟史料部


 南十字星3月号でご紹介した桜の花をモチーフにした木製パネルを日本人会で受け取り、改めて日本人会と日本人学校の歴史について調べました。


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 もしかしたら、スタンフォードアートセンターには他にも日本人小学校の名残があるのではないだろうか。そこで、同センターの建物内を見学できないか問い合わせをしてみました。


 同センターは通常、1階のカフェとレストランは誰でも利用することができ、敷地内も自由に見学することが可能です。ただし、一般公開されるイベントや展示がない限り、部屋の見学はできません。


 そこでセンター長のリナさんに、桜の花をモチーフにした木製パネルの写真を送り、日本人会がそのパネルを受け継いだ経緯をお伝えして、同センターには何か日本人小学校の面影が残っているか、尋ねました。


 リナさんから、「とても正直なところ、ここにはもう日本人小学校の面影はほとんどありません。ただし、僅かに残る部分だけでもよろしければ、ご案内します」という回答をいただき、史蹟史料部は早速リナさんを訪ねました。


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 現在の同センターは近代的な装飾が施されており、1921年に日本人小学校が建てられた当時の装飾は全て撤去されているそうです。そのため、桜のモチーフの木製パネルに似たものは残されていません。


 日本人学校として使用していた当時は、2階建ての部分と、両側の3階建ての部分は別の建物でしたが、現在はガラスの天井を施し、3つの建物が繋がっています。


 築100年以上の建物ですが、リノベーションを重ね、壁やドアは塗り直され、窓のガラスは新しいものに交換され、現在も、とてもきれいな状態で使われています。


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 リナさんが現在使用されていない部屋の鍵を開けて、特別に中を見せてくださいました。


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 外装や内装は何度もリノベーションされていますが、建物の構造自体は変わっておらず、部屋のサイズは建てられた当時と同じだそうで、リナさんは、日本人小学校はこの部屋を教室として使っていたでしょう、と仰っていました。こちらは1階の教室です。


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こちらは2階の教室です。


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 日本人学校が建てられた当時はエアコン設備が無く、風通しが良いように格子窓が造られたようですが、現在はアクリルパネルで塞がれています。


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 1931年に増築された建物の廊下は色を塗り替えているのみで、造りは変わらないそうです。


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 この建物の向かいには、有名な寺院が2つあります。


 カラフルなスリ クリシュナン寺院は1870年建立。おみくじがよく当たることで有名な観音堂は、1884年の建立です。どちらも日本人小学校よりも古くからあります。
 この窓から寺院が見える風景は、日本人小学校の先生や生徒が見ていた当時と同じですよと仰っていました。


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 最後に見せていただいたのは、壁も天井も黒く塗られ、窓には暗幕がかかったホールでした。現在はブラックボックスという名の付いたステージ発表用ホールとなっています。


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 ここも部屋の大きさは建設当時のままで、おそらく小学校の体育館か講堂だったのでは、とリナさんが仰ったとおり、かつてここは日本人小学校の講堂だった様子が写真に残っています。1927年(昭和2年)頃の写真です。


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 1920年に建てられた新嘉坡日本小学校は、戦後1941年には3名の教師と数名の生徒を残し大勢の邦人が撤退しています。その後、1942年からは地元の小学校として使用し、1947年にはシャックル クラブと呼ばれたイギリス軍兵士のリクリエーションセンターとなり、1947〜1951年はガン エン セン スクール、そして1955年にスタンフォード ガールズ スクールとして使用された歴史があります。


 桜の花をモチーフにした木製パネルは、1955年には既にこの建物に存在していました。日本人小学校にそれがあったという確証はありませんが、戦中戦後の日本人が去った時代に、シンガポールにはない桜の花をデザインしたパネルを作製して飾っていたとは考えにくいのではないでしょうか。


 この度日本人会で受け継いだ木製パネルは、今後どこに、どのように飾るか、現在話し合いを進めています。


https://www.jas.org.sg/news/the_japanese_cemetery_park_newsletter


参考文献:「戦前シンガポールの日本人社会‐写真と記録‐改訂版」 シンガポール日本人会 1998年6月27日発行


文責・画像:日本人会 史蹟史料部  両頭真衣


 

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