ハローインタビュー 2021年度 日本語スピーチコンテスト 一般の部優勝者 Koh Zhen Chen Winstonさん(11月号 2021年)
29 Oct 2021
「危機を転機に変える」
Koh Zhen Chen Winstonさん
インタビューの様子
「危機を転機に変える」ことは、実は、誰の人生にも起こることだろうと思います。「危機を転機に変える」ために、積極的な態度と向上心は重要だと思いますが、それより大事なのは、周囲のサポート体制です。(インタビューより)
私の場合、コロナ禍で日本へ行けなくなり、自動車修理の仕事に巡り合えたことは、大きな幸運でした。汗水をたらしながら、スパナを指先で回すことで、私は危機を転機に変えたと思います。(スピーチより)
聞き手
日本人学校小学部クレメンティ校教諭 前島祐太
日本人学校小学部クレメンティ校教諭 山根香奈子
日本人学校小学部クレメンティ校教諭 越智建喜
日本人学校小学部クレメンティ校教諭 永地志乃
2021年度日本語スピーチコンテストで優勝されたKoh Zhen Chen Winstonさん。
Winstonさんにとって、「どのような危機が、どのような転機となったのか。」そして、「どのようにして、危機を転機に変えることができたのか。」お話を伺いました。
ー なぜ、日本語スピーチコンテストに出場しようと思ったのですか。
Winstonさん 今年の年明け、私は司法試験に合格し、日本の法律事務所への採用が決まり、日本に行くことになっていました。しかし、コロナ禍で日本に行けず、父の経営する工場で自動車整備士として働き始めました。
日本語スピーチコンテストへの挑戦は、身に付けた日本語のスキルを試したいという思いだけではなく、実はもう一つのテーマがありました。それは、私がスピーチで述べた通り、現時点で、肉体労働者(職人)への報酬と尊敬が欠けていることに対して、状況を改善する政策が少ないということです。そもそも、手に職をつけるといった技術やスキルが必要な業界の報酬が、専門職と比べて、低額に抑えられている現状があります。しかし、この状況を変えることは、利益を労働者に公平に分配する手段の一つだと考え直されるべきです。
そして、シンガポールで職人として働いている人々は、外国人が9割です。シンガポールは自国の若者を、専門職に大量に送り出すのは得意である一方、職人の育成には消極的で、優れた職人がほとんどいません。私は、それを残念に思います。だからこそ、手に職を必要とする肉体労働の業界で、シンガポール全体と多くの外国人労働者との関係を、どうやって調和させるべきかについて、考えていく必要があります。 すぐに、具体的な結果につながるとは思いませんが、少しでも職人に対する見方が変われば嬉しく思います。
ー スピーチコンテストを通じて、職人の方々への、みんなの見方が変わって欲しいというような思いがあって、出場されたということですね。
Winstonさん はい、その通りです。シンガポールでは、たとえば私が就いた自動車整備士もエンジニアではなく収入が低い肉体労働者と見なされています。
ー 実際に、Winstonさんが自動車整備工場で働かれてみて、どうでしたか。
Winstonさん きつかったです。しかし、何ものにも代えがたい達成感を味わうことができました。会得したのは、自動車修理の技術だけではありません。収入が低くて資格のない職業でも、高いレベルを求めている親方は、最高の尊敬に値すると分かりました。
ー お話のなかに、「シンガポールにはすぐれた職人がほとんどいません。」というものがありました。
Winstonさん すぐれた職人は、ほとんどいないと思います。それは、この学歴社会で職人に対する報酬と尊敬が欠けているからです。発展した社会において、整備士はお金がもうからない仕事だという潜在的な偏見をどうやってなくすのか、手に職をつけたい若者の志を育てるのかが今後の課題になると思っています。今採用されている職人は、ほぼ、中国人、マレーシア人といった外国人です。
ー 自分で選んで働き始めても、そこへの尊敬が少ないから、辞めてしまうということですか。
Winstonさん 実際に働いてみると、仕事がきつい上に、周りの人もサポートしないイメージがあります。
ー 「危機を転機に変える」ために大切なことは、どんなことだと思いますか。
Winstonさん 「危機を転機に変える」ことは、実は、誰の人生にも起こることだろうと思います。やはり、積極的な態度と向上心が重要だと思いますが、それより大事なのは、周囲のサポート体制です。今、日本もシンガポールも、コロナ禍で苦しんでいる人がたくさんいます。みんなが、その事情を理解し合い、支え合って前に進まないといけません。
実は最近、日本の新聞で、私はある37歳の女性の方の記事を読みました。彼女は、飲食店とトラック運転手の仕事を経験したことをきっかけに、弱い人の権利を実現しようと思って、夜間大学に進学し、弁護士と政治家になった方です。私が改めて感じたのは、社会の仕組みや制度の大切さです。不遇な目にあう人は、自己責任ではない場合もあり、シンガポールでも俎上に上がる話題なので、色々考えさせられました。周囲のサポート体制、例えば、励ましてくれる家族と友だちは大事です。
ー Winstonさんが今回、日本に行けなくなったときに、すごく悩まれたと思います。そうなったときに、だれに一番に、自分の困っていることを話しましたか。
Winstonさん 両親です。両親に色々悩みを相談しました。前の仕事を辞めて日本に行こうと思ったのですが、このようなこと (コロナ) が起こってしまって残念だと思いましたが、両親に相談して、「全然、大丈夫だ。」と言われました。
ー 困っていることを、伝えることでヒントをもらったり、安心させてもらったりというところから、次のステップ、行動に移る活力になったということですね。
Winstonさん はい、力になりました。安心させてもらい、自分を次のステップへと導き、ベストを尽くそうと思えるようになりました。
ー Winstonさんは、これから、どのような道に進まれるのですか。
Winstonさん 実は、前に採用が決まっていた日本の法律事務所からオファーがあり、先週からリーガルエディターとして働き始めました。シンガポールからテレワークで仕事をしています。コロナが落ち着いたら、日本へ来るように言われています。
ー 日本語や日本に興味をもったきっかけはありますか。
Winstonさん 私は、小さい頃から、日本に惹かれていましたが、「日本が好きだ。」という決定的な原点はありませんでした。しかし、7年前、兵役を終え、バックパッカー旅行をきっかけに日本語を勉強し始めました。当時、私は、日本各地を見て、日本人の公徳心と整然とした街並みに感銘を受けました。
その後、大学時代に陸上競技をしていたときに、日本人の駅伝に対する血の滲むような努力、そして、まわりをがっかりさせたくないという敢闘精神を尊敬するようになりました。
また、コロナ禍で日本へ行けなくなり、父が営んでいる整備工場で半年間働いたときに、日本の自動車のエンジン設計が気に入りました。「設計者の創造力が豊かだなぁ。」「言葉で言い表せないほど素晴らしいなぁ。」と実感しました。
ー 日本の文化や言葉をどのように勉強されたのですか。
Winstonさん 私が、初めて日本の文化に触れたのは、2015年のバックパッカー旅行です。当時、私は、学習塾をされている家主さんのお宅に数日間にわたって滞在しました。また、2016年と2017年には、日本で短期留学やインターンシップなどに参加して、人脈を広げる努力をしました。
ー 好きな日本語、好きなことわざはありますか。
Winstonさん 日本語は、美しい言語です。私にとって日本語は、友だちを作る道具だけではなく、よりよい人生を送ることを教わる手段の一つです。好きな名言などはないのですが、昔、日本の友だちにかけてもらった言葉は今でも覚えています。それは、「無理やりすることは、長く続きません。」という言葉です。
私が信じていることは、人生に最も重要なのは人間関係だということです。人間関係において、その言葉は、私の指針になっています。実際に、人間関係という繊細な絆は、勉強や料理、運動などとは違って、時間を注いでもどうにもならないことがあります。その場合は、何が何でも相手と仲良くなろうとするよりも、物事を強引に進めず、相手の自由を尊重し、流れに身をまかせる姿勢をとるべきだと思います。そうすることで、我々は、有意義な関係を結ぶことができるはずだと思います。
また、「人それぞれ」ということを学びました。日本では、「このような社会があってもいい。」とか「このように考えてもいい。」など、人それぞれ考え方が違っていていいという考えがあることが素敵だなと思いました。日本語を勉強しなかったら、これらのことを学ぶことができなかったかもしれません。
ー 日本各地を見て、公徳心と整然とした街並みに感銘を受けたというお話がありました。日本人の公徳心に関して感銘を受けたこととして、何か具体的な内容はありますか。
Winstonさん 沖縄でバックパッカーの旅行をしたときに、レンタカーを借りて一周した経験があります。そのときにある実験をしました。信号がないところで、相手に「お先にどうぞ。」と合図をすると、おじぎをしてお礼を返してくれます。他の国でこのような行動は少ないです。7回実験をしましたが、みんな返してくれました。待っている人のために、言葉は届かないけど、お辞儀でお礼を伝えてくれことに感銘を受けました。
ー 反対に、日本人が改めるとよいと感じていることは、ありますか。
Winstonさん シンガポールでは、何か問題に直面したときには、友だちなど、そんなに近い関係でなくても相談しますが、日本人は、「内と外」という概念があるように、自分の親友と家族にしか相談しません。日本もシンガポールのような余裕を尊重するべきだと思います。
ー 陸上をやっていたというお話でしたが、ご専門は何ですか。
Winstonさん 専門はなく、趣味として参加していました。あえて言うなら、マラソンです。今も毎日走っています。2019年にはシンガポールマラソンに参加して、シンガポール人男性で51位になりました。タイムは3時間半ぐらいです。シンガポールは湿度が高いので、この記録には誇りをもっています。
インタビュー後談
Winstonさんが言われたように、程度の差はあると思いますが、だれしも危機的な状況に直面することがあると思います。Winstonさんは、コロナ禍という危機を周囲のサポートを快く受け入れながら、勇気を出して一歩踏み出すことによって転機に変えられました。
また、日本のよさを心から受け入れ、そこから真剣に学ぼうとしている態度に、シンガポールにいる私は、どれだけシンガポールやシンガポールの人たちから学ぼうとしているのか考えさせられ、今一歩踏み出す勇気を与えられました。
このような機会を与えられたことに心より感謝しております。本当に、ありがとうございました。
文責・写真:日本人学校小学部クレメンティ校
前島祐太、山根香奈子、越智建喜、永地志乃