編集室より(4月号)2026年
01 Mar 2026
旧正月前、近所のスーパーに足を運ぶと、鮮やかなオレンジ色が視界に飛び込んできました。紅まどんな、せとか、不知火…。そこには海を渡った故郷のエリートみかんたちが、少し誇らしげな顔をして棚に並んでいました。愛媛県出身の私にとって、みかんはごく身近な存在で、食べきったかと思えばまるでわんこそばのようにどこからかやってくるもの。まさかシンガポールで高額な値札付きのみかんを手に取るとは思いもしませんでした。若干の悔しさを感じながらも温かい気持ちでレジに向かい、家で一粒一粒を大切に味わいました。
それ以来、外出先では商品棚のみかんが目に留まるようになりました。チャイナタウンでは、多くの人が「Chun Jian(春見)」と呼ばれるみかんを買い求めています。どうやら旧正月の縁起物として欠かせない存在のようです。みかんを贈り合うことで運気を交換することができるため、訪問時にみかんを持参する習慣が生まれたといいます。
かの芥川龍之介は、短編小説『蜜柑』で、奉公先に向かう姉から三人の弟たちへの最後の贈り物として、みかんを登場させています。列車の車窓から投げ込まれるみかんが印象的に描かれ、小説は「云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。」という一文で結ばれます。たかがみかん、とどこかで侮っていましたが、みかん一つから生まれるドラマや人との繋がりもあるのです。日常に彩りを添えてくれた旧正月のみかん。これからも、私のみかんをめぐる小さな冒険は続いていく気がしています。−未完—
(編集部 相原志保 シンガポール日本人学校中学部)
