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The Fine City(12月号2022年)

30 Nov 2022

ー史蹟史料部所属 歴史友の会ー


 「Singapore is fine city」と評されることがあります。「Fine」にはいくつか意味があって、その中に「素晴らしい」という意味と「罰金」という意味があります。クリーンでグリーンで素晴らしい国になったシンガポールには日常生活にかかわる多くの規制があり、違反すると罰金が科されます。クリーンでグリーンな素晴らしい町づくりを支えているのは厳しい罰金制度だと揶揄したコメントです。


 シンガポールは英国の植民地時代、中継貿易港として発展しました。労働者が必要となり、インドや中国から商人や職人、多数の人足が集まってきました。英国東インド会社のラッフルズ卿がシンガポールにやってきた1819年、当時の人口は200人、マレーシアから独立した1965年には、移民の子孫が188万人に膨れ上がっていました。


 マレーシアから切り捨てられ、独り立ちを迫られたとき、当国は商業のほかに目立った産業は見られず、経済基盤は脆弱でした。分離独立した当時、シンガポールの一人当たりのGDPはUS$500(現在の120分の1)、アフリカの発展途上国と同額でした。国土面積は580平方キロ、淡路島と同じ大きさでした。天然資源無し、後背地無し、主な産業無し。食べ物のみならず水さえも外国に頼らざるをえませんでした。どのように国として生き残っていけるか、先の見えない暗澹たる条件の下での旅立ちでした。


 独立当時、労働争議は頻発し、失業率は9%に近く、雇用機会を創設することは政府にとって喫緊の課題でした。技術もない資金もないシンガポール政府は海外の多国籍企業誘致に活路を見出しました。外国企業の進出に備え、インフラ整備を急ぎ、税率を低く抑えました。東南アジアのオアシスにしようと先進国並みのクリーンでグリーンな国を目指しました。


 ところが足元を見渡してみると、路地はごみが散らかり、下水道からは悪臭が漂っていました。政府が躍起になって街の美化に取り組んでも市民の理解と協力がなければ、努力は水泡に帰してしまいます。一般市民の公衆道徳が大きく立ち遅れているというのが実態でした。そこで政府は1968年、ごみのポイ捨て禁止の法律を導入して、違反者には罰金を科すことにしたのです。市民の公衆道徳を力づくで押し上げようという目論見でした。こうしてシンガポールの罰金制度が始まりました。


 シンガポールの国内外で物議を呼んだ罰金事例をいくつか紹介します。


ごみのポイ捨て


 筆者は1972年、シンガポールにやってきました。ごみのポイ捨て禁止の標識がむやみやたらと目についた記憶があります。国は清潔な街にしようとひたむきになっているのだなと思う一方で、この標識は外国人訪問者の目にはシンガポールの恥をさらしているような印象を受けました。


 ごみのポイ捨て禁止の法令を導入した国の覚悟は一途で、ごみ対策に本腰を入れました。数多くのごみ箱を公共の場に設置し、ごみの収集も定期的に行いました。


 現在、環境庁は街中、住宅地のあらゆるところに6千個のごみ箱を、5メートルから25メートルの間隔で設置しました。ごみ箱のデザインも置き場所も定期的に検討を加え、大きな費用とエネルギーをつぎ込んで、街の美化に取り組んできました。


注:たばこの吸い殻のポイ捨て、キャンディの包み紙のポイ捨てなどの初犯の場合には罰金が300ドル。ドリンクの缶、瓶のポイ捨ては悪質な行為と見なされ、法廷事項となる。違反が数回に及ぶと、罰則は矯正作業命令(Corrective Work Order)に服することになる。グリーンの蛍光色のベストを着て、公衆の目するところで公共施設の清掃に従事する。


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チューインガム


 1983年、国土開発大臣によってチューインガムの禁止の法案が出されました。大臣の言い分はこうでした。チューインガムは公共住宅(HDB住宅)の維持管理に深刻な問題を引き起こしています。郵便受けの中に捨てられたり、鍵穴に埋め込まれたり、エレベーターのボタンに張り付けられたりしている。床や階段、通路に捨てられたガムを取り除くのにかかるコストと労力は馬鹿になりません。公共交通機関の椅子にくっついたガムも頭痛の種だ。リー・クアンユー首相はこの提案を受けて、当初、禁止措置はさすがにやりすぎだと考えたようです。


 50億Sドル(4,620億円)を投じて敷設したMRT(Mass Rapid Transit=地下鉄)が1987年、操業を開始しました。MRT建設はシンガポールにとっては最大の公共事業でした。するとMRT車両のドアのセンサーにチューインガムを張り付ける事件が起こり、ドアが開閉できなくなりました。こうした事件は頻繁に発生したわけではありませんでしたが、乗客に及ぼした不便は甚大でした。1992年、リー初代首相から政権を引き継いだばかりのゴー・チョクトン首相はチューインガム禁止を決めました。


注:製造、輸入、販売、広告を行った者は初犯の場合1,000ドルまでの罰金が科される。ガムを噛むこと自体は違法ではない。チューインガム禁止は具体的には輸入、販売、宣伝が対象とされる。


長髪


 1960年代シンガポールでは男性の長髪が禁止されました。前髪が眉毛に届く、耳が隠れる、襟に髪がかかる、という3つのケースが長髪と判断されました。ヒッピー文化が世界的な広がりを見せ、政府は国の発展に好ましくない有害な影響を及ぼすと考えました。長髪禁止令に背くと、罰金、髪は強制的に短くカットさせられました。外国のミュージシャン、ビージーズやキタローはコンサートのため来訪したが、入国が許されませんでした。この禁止措置は国内外で反響を呼びました。リー・クアンユー首相は禁止に反対する者の激しい抗議によって外国訪問を見合わせたこともありました。長髪禁止令はやがて意味がなくなり、1990年代廃止されました。


注:髪の毛を切る、あるいは200ドルの罰金


喫煙


 シンガポールでは場所によって喫煙が禁止されています。禁煙の場所は、教育施設の敷地内及び敷地周辺5メートル以内の場所、公園、遊技場および運動場、貯水池周辺、リクレーション用ビーチ、スイミング・プール、イベント会場、歩道橋、地下歩道、屋根付き歩道、洗面所、バス停およびその周辺5メートル以内、病院の屋内外、住宅地の屋内共同地域、ショッピング・センター、オフィス、店などです。因みに、2021年現在、20本入りのたばこの値段は13.06ドルで、重い税が課されています。シンガポール国内で売られているたばこにはSDPC(Singapore Duty-Paid Cigarette)のスタンプが押されています。スタンプのないたばこは違法です。2020年の喫煙率10.1%です。


注:罰金額200ドル、法廷に持ち込まれる場合、限度額1,000ドル。


同性愛関係


 シンガポールの一般市民は同性愛に対して保守的な考えを持っています。2010年南洋工科大学が行った調査によると、64.5%が同性愛に否定的でした。しかし最近の調査では同性愛に理解を示す市民の割合が多くなっています。政府はもともと同性による性行為は自然の秩序に反するものとして規制の対象にしていましたが、この十数年の間にLGBT( lesbian, gay, bisexual and transgender)に対する考えが柔軟になり、法律の適用に変化が見られます。2009年に始まったPink Dot SGはシンガポールのLGBTコミュニティをサポートするイべントですが、年々参加者が増加して、最近では3万人前後が押し掛けるという賑わいです。しかし、シンガポールのメディアはPink Dot SGの報道を手控えています。
 2022年、National Day Rallyでリー・シェンロン首相は同性愛を禁じたSection 377Aの規定を廃止すると発表しました。その一方で、宗教上の教義や一般市民の従来の価値観を損なわないように憲法の見直しを行い、男女の結婚の定義は守っていくと述べました。


注:罰則は2年までの禁固刑(現行のSection 377A)


違法横断(Jaywalking)


 Jaywalkingという言葉はもともと米国で生まれたものです。今ではこの言葉は各国に広がって、英語を話す地域では一般的に使われる言葉になりました。広義では交通法規を無視した横断を指します。シンガポールでは決められた横断歩道から50メートル以内で道路を横切る渡る行為に使われています。


注:初犯は50ドルの罰金。再犯は1,000ドルと3か月の禁固刑、悪質な場合には罰金が5,000ドルまで跳ね上がる。


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器物損壊行為(Vandalism)


 公共施設の損壊、汚損行為は深刻な刑事犯罪と見なされます。罰金ではなく刑罰が科せられます。器物損壊行為とは公共物、私的財産に損壊を加えることと規定されています。公共財産の損傷、破壊、窃盗、所有者の許可なくして、落書きすることも違法です。無断でプラカード、ポスター、横断幕、旗を掲載することも禁止されています。


 1994年、18歳の米国籍のマイケル・フェイがむち打ち刑を受けた事件がありました。マイケルは道路標識を盗み、18台の車にスプレイをかけるという違法行為を行ったのです。彼は罪を認め、刑期2か月、6回のむち打ち刑を受けることになりました。多くの米国民はむち打ち刑という暴力的な刑罰に憤慨しました。マイケルの違法行為は人を傷つけるといった類の犯行ではなかった、むち打ちの刑はやりすぎだとの言い分でした。この事件は両国間で大きな論争となり、一時期両国関係が険悪な状況に陥りました。クリントン米国大統領の直々の嘆願を受けて、むち打ちの回数が4回に減じられました。


注:禁固刑、むち打ち刑の対象になる。むち打ち刑の対象者は18歳から50歳までの男性。受刑者は素っ裸で執行台に四つん這いにされ、手足を革バンドで固定され、長さ1.2メートル、太さ直径1.3ミリの籐製の鞭で、執行人によって鞭打たれる。執行時は医師が同伴し、生死に関わることがないように注視している。犯罪者のむち打ち刑への恐怖は尋常ではない。強力な抑止力になっている。


話題になった犯罪と罰金例


注:下記の罰金の一覧表は幾つかの政府系のネットで調べた情報です。情報には若干のばらつきが見られました。お含みおきの上、ご参照ください。


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 1990年ゴー・チョクトン副首相(当時)がClean & Green Weekの植樹運動のあいさつで、「オーチャード通り、シェントン・ウェイ、観光地はきれいになっている。しかし、HDB(公団住宅)、週末の後のイースト・コースト公園を見たら、クリーン運動は道なかばだとおもう」と述べています。先日、HDB住宅地内を歩きました。総じて、清潔に保たれていましたが、隅々に目を凝らしてみると、樹木の周りやフェンス脇の芝にはたばこの吸い殻、プラスティックごみが捨てられていました。ホーカーセンター内の柱にはごみのポイ捨て禁止や禁煙の標識が張られていました。ゴー副首相(1990年当時)がクリーン運動は道半ばというコメントは30年経った今も生きています。とは言え、クリーン運動が始まった50年前と比較すれば、シンガポールの清潔さは格段の進歩を見せました。西欧諸国、日本と比較しても清潔さは際立っています。それが証拠にポイ捨て禁止の標識はいつしか目立たないようになりました。


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文責・写真:杉野一夫


参考文献:Singapore Infopedia, National Archives of Singapore website, National Environment  Agency website, Wikipedia


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筆者プロフィール


シンガポール在住50年


元日本人会事務局長(1987年〜2014年)


「シンガポール日本人社会百年史」編集者・著者


 

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