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消えゆくシンガポールの墓地(8月号2022年)

28 Jul 2022

ー史蹟史料部所属 歴史友の会ー


かつてシンガポールには墓地が散在していました。住まいが墓地と隣り合わせというところも多くありました。よく知られたところではオーチャード通りのニーアン・シティ周辺は墓場でした。ドビー・ゴート(Dhoby Ghaut)MRT駅は1940年までユダヤ人の墓場でした。イスラム教徒は死亡すると、24時間以内に埋葬するという決め事があるので、英国植民地時代、マレー人の住宅地周辺には小さな墓地が数多くありました。古い地図を見ると、中央病院やタントクサン病院など長い歴史を持つ病院の周辺にはムスリム墓地がありました。


 


*華僑社会には「幇(ぱん)」と呼ぶ組織があります。経済的活動を中心とする互助的な組織・結社・団体で、海外などの異郷にあって同業・同郷・同族によって組織されます。シンガポール*華人社会では、五大「幇」と呼ばれる、福建(Hokkien)・広東(Canton)・潮州(Teochew)・海南(Hainan)・客家(Hakka)の5つの主要な「幇」があります。葬儀・祖先祭祀などを含む宗教儀礼も「幇」の大事な役割でした。従って、それぞれの「幇」が墓地を所有していました。オーチャード通りのオーチャード・シアターからアイオンまでの一帯は潮州幇の墓場でした。


 


注:「華僑」は異国で仮住まいをしている中国人を指す。移住先に定住した中国人は「華人」と呼ぶ。シンガポール国籍を持つ中国人は「華人」と呼ぶのが正しい。


 


 1973年シンガポール政府は埋葬禁止令を発令しました。対象になったのはフラートン・ビル(Fullerton Building)から*半径8マイル以内に存在する42か所の墓地です。対象になった墓地には新しい墓を建てることが禁じられました。日本人墓地も対象になりました。42か所の墓地は当面、公園として取り扱われ、将来公共目的の開発に使用されることになりました。矮小な国土のシンガポールは将来の開発に備えて、国土を最大限に利用するために、墓地の面積をこれ以上拡大しない、既存の墓地は将来の開発に利用していこうという考えです。


 


注:フラートン・ビル(現フラートン・ホテル)にマイル・ゼロ(Mile Zero)の標識がある。マイル・ゼロとは管轄区域または幹線道路の距離を測定するための起点になる場所だ。日本の幹線道路の起点(Kilometer Zero=日本国道路元標)は東京の日本橋の橋の中央にある。


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フラートン・ホテルにあるMile Zero


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日本橋にあるKilometer Zero(出典1)


かつてアッパー・セラングーン道路沿いにビダダリ墓地(Bidadari Cemetery)と呼ばれる広大な墓地がありました。キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、ユダヤ教徒の墓地が集まる共同墓地でした。1907年に開設され、1972年まで埋葬が許された墓地でした。歴史的にも価値が高く、シンガポールの来歴を紐解くとき、貴重な墓地であったことがわかります。今はHDB(住宅公団)の住宅地として開発され、人気の高い住宅地になっています。2本のMRT(地下鉄)線が通り、交通の便が良く、緑豊かな、なだらかな風景が広がっています。都心のオアシスというコンセプトを用いて開発されました。


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ビダダリ墓地の門(出典2)


もう一つ由緒ある大きな墓地があります。アダム通り(Adam Road)沿いにあるブキット・ブラウン墓地(Bukit Brown Cemetery)です。シェントン・ウェイ(Shenton Way)のビジネス街がすっぽり入る広さです。近年この墓地の北西側にハイウェイが通されました。数年後には住宅地として開発される計画です。この墓地もやがて消滅することになっています。


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ブキット・ブラウン墓地は10万の墓が存在する中国人の墓地


シンガポールの北西のはずれに国が管理するチョア・チュ・カン共同墓地(Choa Chu Kang Cemetery)があります。1947年に開基された広大な墓地です。この墓地は唯一、土葬が許されています。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒など、希望すれば土葬ができます。


 1998年、シンガポール環境庁は墓の埋葬期間を15年を限度とするという政策を導入しました。チョア・チュ・カン共同墓地に埋葬された遺体は15年の埋葬期限が来ると、掘り起こされます。故人の宗教上、問題がなければ、遺体は火葬され、遺骨は官営の納骨堂に安置されます。埋葬期限が過ぎて3年経っても親族から要求がなかった遺骨(遺灰)は海に撒かれることになっています。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、教義によって生前の肉体が失われる火葬を禁じています。イスラム教徒、ユダヤ教徒は今もこの教義を厳格に守り、土葬が行われています。土葬される遺体はプレハブのコンクリート製の箱に収められます。そして土をかぶせ、蓋をして、埋められます。15年の埋葬期間を迎えると、遺体は掘り起こされ、8体がひとまとめにされ、再埋葬されます。この方法で墓の管理を進めていけば、チョア・チュ・カン共同墓地は2130年までは維持できるだろうと見積もられています。現在では仏教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒の間で火葬に対する理解が進み、90%は火葬を選んでいます。 


 シンガポールには現存する墓地は9つしかありません。そのうちの1つクランジ戦争記念墓地(Kranji War Memorial)は国立墓地なので、接収されることはありません。ブキット・ブラウン墓地は既に一部接収され、ハイウェイになりました。残された部分は2030年までに住宅地に開発される運びです。この2つの墓地を除けば、残りの墓地は7つです。日本人墓地はそのうちの一つです。加えて日本人墓地はシンガポールにある現存する唯一の外国人墓地です。こう考えると、日本人墓地が存続できていることは幸運なことです。


 


文責・写真:杉野 一夫


 


筆者プロフィール


シンガポール在住50年


元日本人会事務局長(1987年〜2014年)


「シンガポール日本人社会百年史」編集者・著者


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出典:


1.Kilometre zero


https://wikimili.com/en/Kilometre_zero


(閲覧日:2022年5月)


 


2.Wikipedia


https://en.wikipedia.org/wiki/Bidadari_Cemetery (閲覧日:2022年5月)


 


 


 

消えゆくシンガポールの墓地(8月号2022年)