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日本人会図書室へようこそ 連載⑨ (9月号2021年)

31 Aug 2021

 


海外の日本語センターから文化のソフト・パワーを語る


シンガポール留日大学卒業生協会 前会長 陳永力(タン・ジョンレック)


 


※小論は、2007年1月15日付『聯合早報—言論版—』に掲載された記事を日本語訳、転載したものである。


 


〜日本語に見られる日本文化の特質は、その吸収力と柔軟性、伝統を重んじる心、そして豊かな創造性であろう〜


 


1月8日付の『聯合早報』のトップニュースで、「日本は将来、海外に100か所の日本語センターを増設する」という報道があった。翌日には、「大国の競争にソフト・パワーを大いに利用することを歓迎する」という社説で更にそのニュースを評論し、同社説の内容は海外での日本語センター増設を肯定的に評価するものであった。筆者もその社説の内容に大賛成である。


 古今東西、日本文化のあらゆる面に関する評論や研究者たちの著書、専門書などは数限りなく、枚挙にいとまがない。筆者は日本留学経験者の1人として、また、縁あって日本文化とある程度接したことのあるシンガポール人の立場から、浅見を『聯合早報』の読者の皆様と分かち合いたいと思う。


 


言語の中に見られる文化の考察


 


 言語は、往々にしてその文化を映し出す。日本語に映し出された日本文化の特質は、まず第一に、その強い吸収能力だと言える。2000年余り前、日本は多くの留学生を当時の漢代中国に派遣し、漢字を吸収して持ち帰らせた。それが、日本語の根幹を成す重要な柱となり、日本語を支える基本精神となって現在にまで至っている。また、近代に入ってこの百数十年来、日本は多くの西洋文明と触れ、日本語の中のカタカナを使い、音をそのまま表すという方法で、数多くの欧米のことばを外来語として取り入れてきた。例えば、“ice cream”は「アイスクリーム」、“miniskirt”は「ミニスカート」、“personal computer”は「パソコン」というように、表音文字である日本語のカタカナは、外来語の音をそのまま表すことができるのだ。このような強い吸収力と柔軟性によって、日本語の語彙はきわめて豊富なものとなった。


 統計によると、このようにカタカナ語として日本語の語彙に取り入れられる単語の数は、毎年1000語以上だとも言われている。


 第二に、日本語の中には古い漢字が今もなお多く残り、使われ続けているという点が挙げられる。これらの古い漢字は、現代中国語の白話文(白話文とは、古文に対して「現代文」を意味する)ではもはや使われなくなった。例えば「箸」(現代中国語では“筷子”)、「机」(現代中国語では“桌子”)など、昔の中国語古文で使われていた古い語彙が日本語では今もそのまま残っているのである。これは、日本が伝統を重視することの表れではないだろうか。


 第三に、多くの読者はご存知ないかもしれないが、現代中国語の白話文(現代文)の中で使われている多くの語(「語」とはすなわち、中国語で“詞”と呼ばれるものを指し、2つ以上の字が組み合わさって新たに1つの概念を表すものである)は、実は日本で作られたものである。よく使われる語として例えば、「社会」「主義」「政党」「共産」「内閣」「警察」「銀行」「図書館」「幼稚園」「物理」「気圧」「動脈」「統計」「建築」「芸術」「小説」「記者」「宗教」など、これらの語は近代に入ってから現代中国語に取り入れられ、現在まで使われている。


 これはどういうことであろうか。1868年に日本が明治維新の時代に入ってからの数十年間、日本は多くの留学生をヨーロッパに送り、科学技術、医学、憲法、鉄道、造船などを学ばせたが、その際、英語やドイツ語などの数多くの語を日本語に訳さなければならなかった。そうして、例えば“law”は「法」と「律」を組み合わせて「法律」、“democracy”は「民」と「主」を組み合わせて「民主」というように、多くの訳語が生み出されたのである。


 一方、当時の中国はちょうど清朝の末期、内憂(太平天国の乱)と外患(帝国主義列強の割拠)に頭を痛めていた。知識人たち(日本で知られている康有為など)を中心として“戊戌変法”という運動も起こったが(変法自強運動)、残念なことに結局は失敗に終わってしまう(戊戌の政変)。また、1895年に日清戦争で日本に敗れたのをきっかけとして目覚めてからは、日本へ多くの学生を送って学ばせ、改革を推し進めた。


 こういった清末期の改革運動は、やがて1919年に「五・四運動」という形で最高潮に達し、当時の知識人たちは日本語から多くの語を広範囲にわたってそのままの形で取り入れ、中国語の白話文(現代文)の中で用いるようになったのである。


 このようにして日本語から中国語の中に外来語として取り入れられた語は、今日ではすべて現代中国語の辞書の中に収録されている。これらの語の由来と成り立ちは、日本語の持つ創造性を表していると言えるだろう。
 ごく最近でも、中国語の“人气”“写真”などの語はやはり日本語から取り入れられたものであり、ここ20年間においても日本語からの借用語の例は少なくない。


 以上に述べたように、日本語に表れている日本文化の特質は、強い吸収力と柔軟性、伝統を重んじる心、そして豊かな創造性であると言えよう。


 


お互いに相手を内包する中国語と日本語の関係


 


 このように、中国語と日本語はいわゆる“你中有我,我中有你”(君の中に我あり、我の中に君あり)という、お互いがお互いを内包している関係にある。2000年前の古代では、中国が師であり日本が生徒であった。ところが、近代の中国語白話文(現代文)の一部分においては、日本が師であり中国が生徒であると言えよう。しかしながら、このように「どちらが先でどちらが後か」「誰が師で誰が生徒か」という観念は、言語の上ではあまり大した意味を持たない。


 言語上価値があるのは、「包容性があるかどうか」という点である。今日、国際的に通用している英語を見てみると、ラテン語を由来とする語彙が多く取り入れられ、かなり大きな部分を占めている。“有容乃大”(多くの河川を吸い込む海が大きくなるように、包容力があればあるほど自らも大きくなること)というような包容性によって、英語はほとんど全世界に普及したのである。


 


伝統文化と現代文化


 


 日本の「生け花」が表す精巧さと美しさ、「茶道」が重んずる細やかさと礼儀、「剣道」や「空手」が求める集中力と強さ、「太鼓」が伝えるリズムと迫力、伝統的な和服が表す目を奪うようなあでやかさなど、多くの読者にはすでにお馴染みだと思う。


 また、日本の食文化が持つ薄味であっさりとした美味しさ、適量で栄養も豊富、彩りも美しく、目も楽しませてくれる、このような日本食を好む人も多い。
 このほか、カラオケ、アニメや漫画、電子ゲーム、ファッション、ヘアスタイルなど、「ソフト・カルチャー」と呼ばれる最近の現代文化もまた、一世を風靡している。


 それに対して、中国文化にはこのように人々を惹きつける力はないだろうか。その魅力を探求し、さらに引き出してアピールしていく価値があるのではないだろうか。伝統的な面も現代的な面も含め、中国文化にも人々のあこがれとなるような魅力や将来性があるのではないだろうか。


 中国文化は約5000年の歴史を持ち、悠久の昔を起源として、気の遠くなるような長い時間をかけて育まれた、大きく深い、豊かな文化である。雄大な迫力を持つと同時に、きめ細やかで繊細な魅力も併せ持ち、さらには奥深い優れた知恵も兼ね備えている。中華民族の子孫は、自分の伝統文化を愛し大切にすることはもちろんのこと、その上で新しいものを創造する精神を取り入れ、また、好ましくないものは捨て優れたものを大切に守っていくべきであろう。美しく優れた魅力を大切にし、それをより一層輝かせ、アピールしていけば、必ず人々の賞賛を得ることができ、人類の調和を促進するために貢献していくこともできると信じている。


 


TAN_Jong_Lek 2.2M.jpg (2.22 MB)


Tan Jong Lek プロフィール


陳永力(タン・ジョンレック)


1958年にシンガポール生まれ


東京外国語大学付属日本語学校卒業 (文部科学省国費奨学金)


横浜国立大学 卒業 (最優秀成績で外国人留学生特別賞受賞)


2年半の兵役に従事し、国防省へ入社


その後、官庁、民営企業を経て、現在は会社役員として、複数会社のアドバイザリーなどを務める


ボランティア活動


日本・シンガポール・シンポジュームのシンガポール側代表 (2001年及び2006年)


JUGAS シンガポール留日大学卒業生協会 前会長(2004年〜2008年)


会長任期中、JUGASが日本外務大臣表彰受賞(2005年


ASJA インターナショナル 前議長(2006年〜2010年)


星日文化協会 前副会長 (2011年〜2020年)


星日文化協会日本語学院 元院長 (2014年〜2021年)


シンガポール日本人学校(中学校1校及び小学校2校)2012年6月より 運営理事会、理事管財人


シンガポール日本語補習授業校 2019年11月より運営委員会 委員


シンガポール日本人会 特別会員


シダル女子中学校 顧問委員会 前委員


茶道 裏千家淡交会シンガポール協会 副会長

日本人会図書室へようこそ 連載⑨ (9月号2021年)