aboutus-banner

シンガポールと日本のアート教育 連載コラム②(9月号 2021年)

31 Aug 2021

ArtEdulogo02.png (36 KB)


 


第2回 「シンガポールと日本の美術の教育計画(前編)」


 Art_Sep2021_2.JPG (1.55 MB)


 


絵を見るだけではシンガポールと日本のアート教育の違いはわからない?


 


 シンガポールの子どもたちはどういう絵を描くのでしょうか?学校の美術の授業ではどんなことを学んでいるのでしょうか?シンガポール日本人学校小学部では毎年、近隣のローカル小学校から子どもたちの絵を借りてきて展示する、国際絵画交流展を開催しています。私は図工の教員として大変楽しみにしていたのですが、実際にシンガポールの子どもたちの絵を前にして、「あれっ」と思ってしまいました。期待していた、「これがシンガポールの美術だ!」という感じがつかめなかったのです。というのも、絵には様々な表現方法があり、そこに共通するものを見つけるのが意外と難しかったのです。また、それぞれの作品から感じられる面白さが、シンガポール独自の美術教育によるものなのか、作者である子どもの個性なのか、教えた先生の指導法なのか、絵を眺めているだけでは結局よくわからないのです。


 


教育計画を比べてみよう


 


 日本とシンガポールの文化は全く違います。きっと美的な価値観に違いがあるはずで、美術教育にも何らかの違いがあるはずです。そこで、シンガポールの美術の教育計画を調べることにしました。この記事では、シンガポールと日本の美術教育計画の違いや特徴を紹介したいと思います。ちなみに、2021年末には日本人学校とシンガポールのローカル小学校の美術作品展(一般公開)を企画しています。この記事で扱う内容はその展覧会を楽しむための予備知識としても役に立つと思います。


 


美術教育の目標


 


 日本の小学校で子どもたちが学ぶ図工の内容は学習指導要領によって定められています。シンガポールにも同じものがあって、これをシラバスと呼んでいます。さて、どちらの教育計画にも初めのほうに「美術教育における目標」が掲げられています。この目標はその国の美術教育が目指すところですから、両国の違いが分かりやすく表れていると考えられます。学習指導要領(図工編)には日本の美術教育の目標が以下のように書かれています。


 


対象や事象を捉える造形的な視点について自分の感覚や行為を通して理解するとともに、材料や用具を使い、表し方などを工夫して、創造的につくったり表したりすることができるようにする。


3つある教育目標のうちの1番目のものです。次にシンガポールの美術教育の目標を見てみましょう。(日本語訳は全て小林)


 


すべての子どもが美術を楽しみ、視覚的に表現して、社会や文化とのつながりを通して意味を作り出すことができるようにすること


(MOE ART SYLLABUS、p5 すべての教育機関における美術教育の目標)


 


「美術は自分自身と身の回りの世界について学ぶための方法である」ということを理解させる


(同、p5 小学校における美術教育の説明)


 


「身の回りのものを発見したり探索したりするための視覚的なリサーチ能力」を養うこと。


(同、p8 美術の教育計画の目的。一番初めのもの)


Art_Sep2021_3.JPG (342 KB)


シンガポールの子どもの作品を鑑賞する日本人学校の児童(2019年)


 


 


両国の美術のイメージ


 


 どのような違いを感じましたか。日本の美術教育の目標には「自分の感覚」とか「創造的につくる」とか、いかにも美術らしい言葉が出てきます。それに対し、シンガポールの方は「社会や文化とのつながりを通して意味を作り出す」とか「自分自身と身の回りの世界を学ぶための方法である」など、私達がイメージする美術とはちょっと違う感じがします。美術教育の内容は当然、その国がもつ美術のイメージに左右されます。日本人とシンガポール人では、美術と聞いて思い浮かべるものが違うのでしょうか。日本では、美術といえば感覚的・個人的なイメージがあるのに対し、シンガポールの美術のイメージはもっと外に向かった、社会的なものなのかもしれません。


 


シンガポールは教科横断的


 


 美術のイメージが違うということは、美術が意味する範囲が違うということでもあります。例えば、シンガポールの教育目標にある「発見」とか「リサーチ」という言葉は、教科で言えば美術というよりも理科や社会科を連想させます。「自分自身について学ぶ」とか「社会や文化とのつながりを通して意味を作り出す」というのも、ひとつの科目である美術にしては大仰な目標だと思いませんか。これはシンガポールの教育が、教科の枠を超えた、より汎用的な能力の育成に力を入れていることを示しています。別の言い方をすれば、シンガポールの教育目標は教科横断的になっているということです。それに対し日本では、教科の特性(美術だったら感覚を使うこと、用具を使うこと、作ることなど)を深めるような教育目標になっています。相対的に、教科の専門性が高いと言えます。この目標の違いが日本とシンガポールの美術教育の違いを端的に表しています。教育目標が違えば子どもたちの作品にも違いが出てくるはずです。次回の記事では、より具体的に美術の授業で扱う内容を見ていきます。シンガポールの美術の授業は日本のものとどう違うのでしょうか?どうぞお楽しみに


 


Art_Sep2021_4.jpeg (1.70 MB)


表し方などを工夫して、創造的につくったり表したりする(学習指導要領)


 


Art_Sep2021_1.JPG (1.43 MB)


造形的な視点について自分の感覚や行為を通して理解する(同)


 


◆今回の記事では「美術」「アート」「図工」のどの言葉を使うか迷いました。比較しているのは日本の小学校の「図工」とシンガポールの小学校の「Art」だからです。それぞれ意味が違う言葉ですが、混乱を避けるためにすべて「美術」という言葉に統一しました。


 


Art_Nov_2021_1.jpg (112 KB)


小林 智 プロフィール
シンガポール日本人学校小学部 チャンギ校勤務。図画工作科担当。高校の美術教師を経てシンガポール日本人学校中学部の美術科担当。2019年から現職。


 


文責:シンガポール日本人学校小学部チャンギ校教諭 小林 智
写真 : 小林 智

シンガポールと日本のアート教育 連載コラム②(9月号 2021年)