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シンガポールと日本のアート教育 連載コラム①(7月号 2021年)

01 Jul 2021

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高橋 万弥さん


ココロラーニングハウス代表
スタジオミュウ アートエデュケーター


 


聞き手 シンガポール日本人学校小学部チャンギ校 小林 智教諭



アート教室ミュウでのインタビューの様子


 


 近代的なデザインのチャンギ空港、びっくりするような形のコンドミニアム、シンガポール特有のファッション、街中で見かけるオブジェ、入れ墨を入れている一般の人たち、日本からシンガポールに降り立つと驚かされる風景です。これらはシンガポールの文化であり、アートです。アートにはその国の人々のものの見方や価値観が表れます。では、シンガポールではどんなアート教育が行われているのでしょうか。日本の美術教育とは何が同じで何が違うのでしょうか。そんなテーマで記事を連載します。


 第一回目は、シンガポールでアート教育に長く携わってきた高橋万弥さんのインタビューです。高橋さんが運営しているアート教室は、日本人の生徒もシンガポール人の生徒もいて、日本とシンガポールのアート教育というテーマで最初にお話を聞くのにぴったりの方です。


高橋さんはオーチャードにアート教室ミュウ(Studio Miu Art)、サマセットに日系の幼稚園ココロラーニングハウス(Coco-Ro Learning House)を運営されています。シンガポールの真ん中に2つ学校を持たれているということに驚きます。まず、ミュウはどのようなアート教室でしょうか。


高橋さん(以下、敬称略) 生徒は子どもから大人までで、絵画だけではなくて、工作や陶芸も教えています。シンガポール人が半分くらいで、日本人が2割から3割くらい。残りは外国の人です。先生も日本人とシンガポール人がいます。


なぜ、シンガポールに来て、アート教室を始めたのですか。


高橋 自分が全く知らないところでゼロから何かできるかなと思ってシンガポールに来ました。自分がどれだけできるのか試してみたいという気持ちがあったんですね。初めはデザインの会社に所属するという話があったのですが、その会社があまりデザインをやらないことがわかって、それだったら自分の力が発揮できないと、辞めました。そんなときに、日本人の知り合いの方から子どもに絵を教えてほしいと頼まれて、絵画教室を始めることにしました。「毎週来るのが楽しみでしょうがない」と言ってくれたり、「すごく楽しかった」と日本に帰ってからも連絡をくれる子どもがいたりして、自分のやってることの意味が感じられました。


 その頃のシンガポールは、子どもにとってもやることのチョイスが少なかったため、子ども向けの絵画教室を始めるとすぐに口コミで広がりました。それからローカルの人たちも教えるようになりました。当時シンガポールの学校のアートの授業では、絵を早く正確に描くことが求められていました。まだシンガポールは勉強、勉強という雰囲気でした。それだったら、私がもっと別のことを教えられるという思いがありました。後に大人の人たちも教えるようになり、いろいろな国の人が来て、フランス人にも教えました。私がフランス人に油絵を教えるというのはおかしかったです。そっちが本場じゃないのって(笑)


高橋さんも美術大学で本格的に学ばれていますよね。


高橋 多摩美術大学の油画学科で大学院まで学びました。作品を制作する傍ら、バックパックを背負ってヨーロッパやアジアの美術館や遺跡巡りをしていました。


高橋さんはシンガポールで日系の幼稚園ココロも運営されています。


高橋 幼稚園は8年くらい前に始めました。アート教室をやっている中で、スタジオで何回か教えるだけでなく、継続的に教えることができたら、子どもたちの感性もより豊かになるのではないかと思い、始めたんです。同じ時期に東日本大震災があって、自分にできることはないかと考えていた時期でもありましたね。


この幼稚園はアートに力を入れていますね。


高橋 私がなぜアートに力を入れるかというと、落ちこぼれの子どもを作りたくないというのが一番かなと思います。教育の中で、どうしても落ちこぼれてしまう子どもというのは出てきてしまいます。さらに今は、あの子変わってるね、と弾かれるようなことが多い世の中だと思います。でも、そうではなくて、一人一人みんなが違うことをしていてもいい。美術って丸いものを四角に変えて描いてもいい。そういう自由を与えてあげたいと思うんです。お顔はこうでお鼻はこうでしょう、耳はこうでしょう、っていうようなことだけでは無いんだよということを教えたい。だから、ココロは1週間に一回、日本人やローカルのアーティストの先生を招いて授業をしています。それがココロの特徴かなと思います。


スタジオや幼稚園で教えるだけでなく、高橋さんはアートに関わる幅広い活動をされています。紹介していただけますか。


高橋 東日本大震災のときには、日本はシンガポールの人たちにもたくさん助けられたので、震災の一年後にそのお返しにと、桜の花の形の風車を作ってマンダリンホテルの前に飾るというインスタレーションのプロジェクトを有志とやりました。また、ミヤザキケンスケさんという日本人のアーティストのキュレーションをしたことがあります。彼は、シンガポールにいる日本人に書いてもらったメッセージを使って作品を作り、エスプラネードで展示をし、そのあと福島でも展示をしました。他にも色々なアーティストの活動に関わりました。



マンダリンホテルの前のインスタレーション




ミヤザキケンスケさんの作品


 スタジオが高島屋の中にあったときはスタジオの一角を外から見えるウィンドウディスプレイにして、ローカルのアーティストに作品を展示する場所を提供していました。場所代はもらわずに、代わりにスタジオでワークショップをしてもらうなどしていました。今のスタジオ(Centrepoint Mall内)にもそういうスペースがあるのですが、私が忙しくなりすぎてしまって、企画があまりできていないのですけれど。



スタジオの一角をギャラリーに


 


アーティストのサポートもされているのですね。


高橋 アート教室ミュウの講師の人たちにも、先生としてではなくて、作家として来てほしいという願いがあります。彼女たちにも、作ることをあきらめないでいられる環境を作ってあげられたらな、と思っています。そのほかにも、マーライオンパークをキャンドルライトで飾ったり、チャンギ空港のフードコートの壁画を描いたこともあります。色々なアーティストや企業に関わってきました。




マーライオンパークをキャンドルライトで飾る
(主催 ライティングプランナーズアソシエーツ(LPA)© Lighting Planners Associates)




ジャパングルメホール「sora」の壁画(昨年閉店)


あの松の絵は高橋さんが描いたのですね!見たことがあります!


高橋 日本人会1階のキッズコーナーにあるピヨピヨハウスとキッコリハウスの絵も私の絵です。


ええ!そうなのですか。恥ずかしながら知りませんでした…。本当に幅広い活動をされてきているんですね。


高橋 シンガポールに来る前に、日本でもそういうことをやっていました。自分の制作スタジオで近所の子どもたちに絵を教えたり、その一角をギャラリーにして、アーティストが作品を展示できるようにしていました。


高橋さんがアートに関わる色々な活動をしてきたことがわかりました。さて、シンガポール人と日本人のアートに対する感覚の違いを感じることはありますか。




日本人会ピヨピヨハウス(1F)も高橋さんが描いたもの



日本人会キッコリハウス(1F)の壁画


高橋 先程も少し触れましたが、以前のシンガポールの美術の授業は、先生の話を聞いてどれだけ正確に早く描けるかという、テストみたいなものでした。例えば、「今は朝です」「お花に水をあげました」「お花の色は青です」と先生が言う。子どもたちはそれを正確に描くことが求められます。何時だったら太陽の位置はここだ、とかそういう類のことを教えていました。スタジオで私が教えるときは、好きな色で描いていいんだよ、というふうに教えます。そういう物の見方とか表現の仕方を理解してくれて、美術系の道に進んだ人もいました。そういうふうに教えていたら学校の成績が良くならないとがっかりした人もいましたけど(笑)。でもおとなになって、クリエイティブな仕事についたお子さんも結構いました。


興味深いですね。


高橋 あと、私はエスプラネードで毎年やっている子どもの絵の展覧会(Octoburst! – A Children’s Festival)の審査員をやっていました。そのときに感じたのは、細かく描いてあるものが評価されて、余白があったりするとあまり評価されない、ということでした。学校によって描き方が似ているということも感じましたね。先生の教え方によって絵の見た目が決まるんだと思いました。


シンガポールの美術館とか、公共のアートについてはどう思いますか。


高橋 シンガポールの美術館は、子どもが遊びに行って歓迎される場所です。日本だったら作品の周りにロープが張ってあって近づけないようになっていたりしますが、ここはナショナルギャラリーでもエスプラネードやサイエンスミュージアムでも、割と体験型を目指している美術館だから、子どもたちにとって、いろんなことを体験できる場所になっていると思います。特にスクールホリデーの時期になると、見て、触って楽しめる作品が多く展示されます。作家もシンガポールの人だけではなくて世界中から集まっているので、いろんなものを見るチャンスになるのでぜひ美術館に足を運んでほしいと思います。


このインタビューを通して高橋さんのアートに対する愛が伝わってきました。


高橋 私がなぜアートを教えているかというと、アートは自由なんだよということを伝えたいんです。アーティストには「これ何だろう」というものを描いている人もいれば、ずっと地面に穴を掘っているだけの人もいる。一見つまらなそうなものにでも、一所懸命に向き合っている姿を子どもたちが見るのはいいことだと思うんです。そうやって、大人になる上でいろんな選択肢があるんだなということをわかってもらったり、いろんな表現があっていいんだよということを教えたりしたいんです。大人にも絵を教えていますが、最初はみんな上手くなりたくて来ます。でも、上手くなることよりもあなたの内面を表現するということをやってみてくださいと言います。それに共感してくれる人はずっと10年も15年も続けてくれている人たちが多いです。それが私にとってアートかなと思っています。


文責:シンガポール日本人学校小学部チャンギ校 小林 智教諭
写真:小林 智教諭、一部は高橋様、ミヤザキケンスケ様よりご提供

シンガポールと日本のアート教育 連載コラム①高橋 万弥さん(7月号 2021年)