日本人会について
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シンガポール日本人会について

シンガポール日本人会はその設立を1915年まで遡る、100年以上という歴史を持つ由緒ある会員制クラブです。現在の日本人会館は発案から10年の歳月をかけて完成され、会員の永年の夢が実現したものです。1998年5月23日に当時副首相であったリー・シェンロン首相を招いて落成式が挙行されました。アダム・ロードに位置する会館は150台収容可能な駐車場を備えた4階建ての近代的な建物です。シンガポール日本人会の会館は世界中の日本人会の中にあって類を見ない施設を誇っています。

現在約4,260名の正会員(日本国籍保持者)と484名の会友(日本人以外の会員)が登録され、法人会員は685社に上ります。(2024年4月1日)

日本人会は、会員への憩いの場、集いの場を提供するにとどまらず、日本人学校、日本人会クリニック、日本人墓地公園の運営・管理そして現地社会との交流といった、シンガポール在住の日本人社会が担う役割も果しています。

また、チャリティ活動や文化活動を通じて日本とシンガポールとの友好と親善にも積極的に寄与しております。

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会長メッセージ

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シンガポール日本人会 会長

西田 知之

Nishida Tomoyuki

 

 

 2024年3月21日に開催された日本人会年次総会におきまして、2024年度の会長に就任致しました西田でございます。会長就任にあたり、一言ご挨拶を申し上げます。  

 先ず、私ごとで恐縮ですが、過去フィリピンに5年やインドネシアに7年半駐在しており、インドネシアに於いては現地日本人会の理事も務めておりました。各国に於いて日本人会というものが、会員とそのご家族にとって「生活の大きな支え」であること、そして「日本人同士の絆を紡ぐ場所」であること、そして、「駐在する国への感謝を形として示すところ」であると、理解しております。  

 シンガポール日本人会は、100年以上もの長い歴史や、世界で類を見ない立派な日本人会館をはじめ、有形・無形の貴重な資産が沢山ございます。先週、日本人墓地慰霊祭に参加し、私たちや今日の日本人会は、先人達が苦難の中で築き上げてこられた基盤の上に成り立っている事を改めて感じたところでございます。改めて会長の職責の重さを感じ、身の引き締まる思いです。  

 私は、「明るく」・「前向きに」・「粘り強く」を信条としております。良いときばかりでなく、難しい局面の方が多いのが世の中の常と思いますが、疋田前会長をはじめ、先輩理事や会員の皆様のご経験や知見をお借りしつつ、自分自身でもしっかり勉強し、「明るく」・「前向きに」・「粘り強く」役目を果たしていく所存です。  

 さて、日本人会の2024年度活動におきまして、最重要課題の一つが、日本人会館の大規模修繕工事をしっかりと進めることであると認識しております。竣工後26年の年月を経て、様々な箇所が修繕の時期を迎えております。今年9月から約一年間、いくつかの工期に分けて行いますので、日本人会館を閉鎖することはありません。ただ、各工期毎に利用できない施設がございます。会員の皆様にはご不便をおかけしますが、日本人会館が新しく生まれ変わることを楽しみにして頂き、皆様のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 また、毎年恒例の行事や活動は、各担当理事の強力なリーダーシップのもと、部会メンバーやボランティアが一致団結してご尽力されるところがシンガポール日本人会のとても素晴らしいところだと感じております。日本人会のさらなる発展には、会員の皆様、法人会員各社様、在シンガポール日本国大使館やシンガポール日本商工会議所をはじめとする諸団体の皆様からのご支援、ご協力が必要です。引き続き皆様からのご指導・ご支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

 最後になりますが、疋田前会長をはじめ2023年度の活動を成功裡に終えられた理事や会員の皆様に、僭越ではございますが、新会長として深い敬意と感謝の意を表したいと思います。 引き続き日本人会の発展のために、厚いご支援を賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。  



沿革

1889年(明治22年)
日本人会の前身である共済会設立
1891年(明治24年)
二木多賀治郎、渋谷銀治、中川菊三の3人は自己所有地を日本人共有墓地として使用する認 可を取得
1908年(明治41年)
中野光三医師らの主唱で新嘉坡青年会(日本人倶楽部の前身)を設立
1912年(大正元年)
新嘉坡日本小学校Middle Roadの東洋ホテル内に開設
(教師1人、生徒26人)
1915年(大正4年)
日本人会発足式 … 初代会長・鈴木軍医総監、副会長・中川菊三
Wilkie Roadに事務所設立 … 在留邦人数約1,500人日本小学校、Wilkie Roadの日本人会事務所内に移転、日本人会が日本人小学校の経営を行う(生徒数40人)
1918年(大正7年)
日本人会と日本人小学校をShort Streetに移転(生徒数76人)日本小学校、外務・文部両大臣より在外指定学校として認可される
1920年(大正9年)
日本人会をBras Basah Roadに移転(会員激増し1,200人余)
1921年(大正10年)
日本人会、High Streetに移転(5月28日)
日本人会、 Waterloo Streetの小学校楼上に移転日本小学校、英植民地政庁公認学校となる(生徒数122人)
1922年(大正11年)
旧青年会より設備一切を継承し、日本人会の付属事業として日本人倶楽部設立
1926年(大正15年)
Selegie Roadに日本人倶楽部の為の建物を購入
日本人会も同倶楽部内に移転
1930年(昭和5年)
日本小学校補助金減額となり、日本人会は補填の為に登録料を倍額とする日本小学校補助金減額となり、日本人会は補填の為に登録料を倍額とする
1941年(昭和16年)
太平洋戦争勃発 … 日本小学校生徒数約50人(12月8日)
日本総領事館閉鎖(12月23日)
日本人会消滅
1957年(昭和32年)
日本人会再発足(3月14日)
1958年(昭和33年)
クラブハウスを3 Cran Borne Roadに移転
婦人部、盲人バザーに初参加
1959年(昭和34年)
クラブハウスを4 Kheam Hock Roadに移転
1961年(昭和36年)
クラブハウスを11 Second Avenueに移転
1963年(昭和38年)
クラブハウスを135 Bukit Timah Roadに移転
1965年(昭和40年)
機関紙「南十字星」発刊(1月30日)
1966年(昭和41年)
日本人学校の再開(Dalvey Estate)
1968年 (昭和43年)
日本人会単独のチャリティーバザー開催
1970年(昭和45年)
日本人学校、4 Swiss Cottage Estateに移転
皇太子同妃両殿下(当時の皇后両陛下)御来星(2月26日)
1971年(昭和46年)
日本人学校、West Coast Roadに移転
1973年(昭和48年)
日本人墓地への埋葬禁止
1974年(昭和49年)
婦人部のラッキードロー(チャリティー活動の一環)が始まる
1976年(昭和51年)
「南十字星」創刊10周年記念復刻版出版
日本人学校拡張のため、政府の土地2千坪借用のため 日本人墓地2エーカーを政府に返還
1979年(昭和54年)
クラブハウスをScotts Roadに移転 中学棟建設完了(Clementi Road)
1983年(昭和58年)
クラブハウスをAdam Roadに移転 West Coast Roadで中学棟の建設開始
1984年(昭和59年)
常陸宮同妃両殿下御来星(2月) 中学部校舎の落成式を挙行(4月)
1985年 (昭和60年)
日本人会診療所設立(5月) 日本人墓地御堂の落慶式を挙行
1987年 (昭和62年)
日本人墓地改修工事完了 「南十字星」創刊20周年記念号出版
1988年(昭和63年)
ニュースレター発行
1989年(平成元年)
会館建替検討委員会 設立
1989年(平成元年)
会館建替検討委員会 設立
1990年(平成 2年)
会館建替検討委員会 設立
1989年(平成元年)
小・中学部校舎、増築完了
1994年(平成 6年)
小学部チャンギ校着工
1995年 (平成 7年)
小学部チャンギ校完成 新会館建設委員会 設立
1996年 (平成 8年)
新会館建設のため、仮クラブハウスを422, Thomson Roadに移転 日本人会新会館建設開始
1998年 (平成10年)
新会館竣工式(2月16日)
小学部チャンギ校第二期工事竣工式
リー・シュンロン副首相を主賓に迎えて新会館落成式(5月23日)
2000年 (平成12年)
常陸宮殿下、同妃殿下日本人会、日本人学校中学部を御訪問、 日本人会にて歓迎会を挙行(9月13日)
2004年(平成16年)
AR・JASスポーツセンター完成式典(3月13日)
2005年(平成17年)
小学部クレメンティ校、リース契約30年延長
2006年(平成18年)
天皇皇后両陛下、シンガポールをご訪問(6月8、9日)
2007年(平成19年)
外務大臣賞受賞(9月4日)
2008年(平成20年)
イスタナにて開催されたコミュニティ・チェスト賞授与式においてコミュニティ・チェストに対する不断の貢献に対しナザン大統領よりPINNACLE AWARDを受賞(10月9日)
2009年(平成21年)
人民協会(PA)よりチンゲイ・パレードにおける日本人会チームのパフォーマンスに対しBest in Audience Engagement賞を受賞(3月3日)
2010年(平成22年)
2008年に開始された大型改造工事(680万ドル)が2010年5月を以って概ね終了
2012年(平成24年)
中学校、リース契約の延長
茜レストラン改造工事(120万ドル)実施
チンゲイパレードでOutstanding Contingent Display、Chingay 40th Anniversary Cultural Award賞を受賞
2013年(平成25年)
チンゲイパレードでMost Popular Float賞を受賞
2014年(平成26年)
チンゲイパレードでChingay Champion of the year賞を受賞
2015年(平成27年)
創立100周年記念
チンゲイパレードでMost Lively Contingent賞を受賞
2016年(平成28年)
チンゲイパレードMost Popular Contingent賞を受賞
3階の改装工事 ハンディクラフトルーム、クッキングルーム、シャワールーム 、クラスルーム 1~4、ファンクションルーム 2AB、スタジオ1
2017年(平成29年)
チンゲイパレードでBest in Contingent Display賞を受賞
2018年(平成30年)
チンゲイパレードでMost Popular Contingent賞を受賞
ナショナルスタジアムにてスポーツハブとの共催「夏まつり」を2日間開催
2019年(平成31年)
チンゲイパレードでBest Contingent Display 賞を受賞