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あなたの体験談 2024

01 Apr 2024

 


来星したばかりの頃の体験談です。


 1994年ナイトサファリがオープンした年の9月末に3歳と1歳の子供を連れて帯同家族として来星しました。外に出るとむわぁとする高温多湿のシンガポール、夏の日の終わりには「カーッと冷たいビール」が多くの日本人(注:働く大人)の間では当たり前でしたから、当然のようにホーカーの飲み物屋さんのビールの広告に目が止まりました。どれどれと覗いてみると。それまで見たことのない光景が目に入ってきたのです。なんと、、ジョッキ(と思われるグラスコップ)のビールに氷がいっぱい入っていたのです。


 あのありえない光景が30年近く経った今も脳裏から離れません。あれから時が流れシンガポールは大変貌を遂げました。


 ビールに氷、なんてもう目にすることはないのかもしれません。或いは、皆さまの中にはビールに氷は当たり前、と思われる方もおいでかもしれません。


 古き良き昔のシンガポールに思いを馳せながら、今日も日本人会どんぐりでキンキンに冷えた生ビールをいただきます!


(ピーチュオ)


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 私が来星して1番したかった事。高級ホテルのアフタヌーンティーである。豪華なロビーで、香り高い紅茶と美味しいスイーツを頂く。日本にいる時から自分もいつかはと憧れていた。コロナの行動規制が解け始めた頃、ある高級ホテルのを予約した。


 当日は緊張しながら席についた。拙い英語で注文した3段皿のセットが順調に運ばれてきてほっとした。紅茶の味は普通だった。ケーキは映えてはいたが皆同じ味がした。スコーンに添えてあるクリームは美味しかったが、哀しき中年、覚えてきたその横文字の名前が思い出せない。会計は1人約70ドルだった。高価だが、念願の体験が出来て良かったと、自分に言い聞かせた。


 しばらくして、ブギスの病院へ健康診断に行った。相変わらずの高BMIで、もう間食はしないと固く心に誓う。帰りは、アラブストリートを歩いた。どこからかスパイスや甘いパンの香りが漂ってきた。ああ、いい香り。そういえば、ブギスジャンクションにエッグタルトやカリーパフなど、私の好きなスイーツ売ってたなあ。ここで私の中から声がした。「食べたい物買って、家で3枚の皿に並べたら良くね?」


 先般のモヤモヤがここで解けた。よし、買いに行くぞ。自分の好きなものでリベンジしてやる。足は既に店へと向かっている。病院でたてたばかりの誓いは、黄金に輝くモスクの屋根の向こうに飛んでいった



ジュロンの駐妻


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【2024年チンゲイパレードの思い出】


 みなさんはチンゲイパレードを知っていますか。チンゲイパレードとはシンガポールの春節を祝うお祭りで世界から色々な人たちが集うパレードです。


 一昨年のパレードを見たのがきっかけで、昨年10月母のすすめもあり、母子でチームに入れてもらいました。知り合いがいない僕は最初、チームのみんなと打ちとけるのに時間がかかったけど、一緒に踊ったり、遊んだりするうちに仲良くなることができました。


 今年はBLOSSOMというテーマで日本チームはさくらさくらの楽曲をアレンジした曲でパフォーマンスをしました。光あり、花火あり、鳴りひびく音楽、ごうかなステージ衣装の人たち、本番前のドキドキワクワク、ステージから見たお客さんの顔、成功した喜び、僕が目にした一瞬一瞬がキラキラ輝く思い出の1ページとして心に刻まれました。


 本番前に見上げた空には満月が明るく僕らを照らして、頑張ってと言ってくれているようであの日見た月は忘れません。一生に残る思い出作りができたこと、人に伝えたい僕の体験談です。


 家族、そしてチームのみんなありがとう。また来年もチンゲイパレードに出てたくさんの人を笑顔にしたいです。


image-anatano-taiken.jpeg (207 KB)


長 航平


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校外学習で得た考え


 私は五年生になって、初めて校外学習で、クラスのみんなとゴミ拾いをしました。最初は、ベドク貯水池の周辺でゴミ拾いをしました。想像していたよりもゴミがあまり落ちていませんでした。けれども、ベンチの下には、たくさんのたばこの吸い殻や食べ物の注文用の輪ゴムが落ちていました。次は、イーストコーストパークでゴミ拾いをしたのですが、空き缶やたばこの吸い殻、ペットボトルが、ベドク貯水池よりも多かったです。特に、土で埋もれている目立たない場所に、たくさんのゴミがありました。


 そこで、私は初めて、郊外や海辺の方が都心部よりも、落ちているゴミが多いことに気づきました。今まで、サマセットやオーチャードのような都心部は、人がたくさんいるから、一番ゴミが多いのだと思っていたからです。都心部は人の目が多いけれども、郊外や海辺は、誰も見ていないからゴミを捨てちゃってもいいよね、という考えが起こるのだと思いました。ゴミ箱を増やしていく前に、一人一人がゴミをポイ捨てしない努力をする。そうすることで、シンガポールの端まで、今よりもずっときれいになり、快適な暮らしと結び付くはずです。


 今まで、環境について考えたことがなかったけれども、この校外学習を通して、自分から身近なゴミを減らしたいです。そして、この私の考えを、シンガポールに住んでいる人達に伝えたいです。


(興津奈穂)


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Kさ〜ん


 嬉しいことがあった。


 毎週火曜日に、近隣のスポーツセンターでZumbaダンスのレッスンに参加しています。先生1人に生徒が6人。私以外は、シンガポールのお姉さま方です。そのうちのお一方(お姉さまA)から


お姉さまA


「あなたの名前は何て読むの?私達発音が分からなくて、いつも“日本人”って呼んでいるから教えてくれる?」



Kです。外国の方には少し難しい発音かもしれないけど。」


お姉さまA


OKKね。」


K


「はい」


先生


Kさ〜ん」


 他のお姉さま方も口々に「Kさ〜ん」と、日本式に「さん付け」で呼んでくれました。


 先生のお手本を見れば踊れるので、今まで他の生徒さん達と話すことはあまりありませんでした。1年近く通って、名前を覚えてもらえて、やっと仲間に入れた気がします。


 シンガポールでは、小学校から歴史の時間に戦時中の日本軍による占領時代について、時間をかけて深く学んでいます。またシンガポールの人達の中には、日本に興味がある方や旅行したことがある方が多く、名前に「さん」をつけることを知っている人に何人も遭遇しました。


 お姉さま方ともっと話せるように、英語脳と英語耳をもっと磨くために、引き続き英会話のレッスン頑張ろうと思えた出来事でした。


K



 

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