OECDが3年毎に実施する国際学習到達度調査(PISA)に、2009年、シンガポールが初めて参加し、「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の3分野とも日本を上回る成績を収めました。
資源がないシンガポールは「人こそ資源」と、教育に力を注いでいます。それは国家予算を占める教育の割合が約23%で、第2位であることからも分かります。(1位は国防で約26%)。人材育成に力を注ぐシンガポールの教育政策の中でも特に教育のICT(Information Communication Technology)政策は、英国、韓国と並んで先進国であり、日本からも国の視察団や教育研究者、現場教師たちが多く視察に訪れています。

◆ マスタープラン

MOE(シンガポール教育省)は、国際競争力の強化を目的にICT教育マスタープラン(MP)を策定しています。マスタープランは1997年の開始から5年毎にレベルアップする計画で、現在第3段階に進んでいます。
 シンガポールの学校を訪問すると、どの教室にも天吊りプロジェクターと実物投影機が備えられ、デジタルテキストブックやコンテンツを活用した授業を展開していますが、それらはこのマスタープランの成果です。
 マスタープランの実施にともない、さまざまなICT活用の環境が整備されつつあります。一端を紹介しましょう。

 

学習管理システム(LMS)
インターネットなどネットワークを通じてオンラインでの教育をeラーニングといいます。eラーニングには、手軽さや情報更新の早さなどの利点がある一方、無関係のユーザーが利用しないように受講者を管理する必要があるなどの問題点もあります。このような問題が起きないように、プラットフォームを整備し、登録した受講者が簡単に操作できるシステムをLMSといいます。
シンガポールの学校は、LMSを利用しています。LMSを開発している企業は約30社。学校が一括してライセンスを購入すると、その学校の児童生徒全員がその企業のLMSを利用できるようになり、技術的なサポート要員の派遣や駐在も含まれます。児童生徒は各自IDとパスワードを持ち、各家庭からもアクセスできるので、保護者が我が子の学習の進捗状況を把握することも可能です。
採点や分析も容易ですから、授業で使うだけでなく宿題としても利用されています。

スクールコックピットシステム
シンガポールでは、子どもが小学校に入学してからの基本情報、成績、体力、出欠記録、表彰などの履歴が一元管理できるシステムがMOEによって開発され、全学校に導入されています。これにより、事務処理が軽減されるだけでなく、子どもが社会に出るまで一貫性のある指導ができます。
Eduma112.0&The ICT Connection
教員は、MOEが開発、購入した1万を超えるデジタル教材を全てここから無料でダウンロードし、活用することができます。どの教材がよく利用されているかが一目で分かるように星の数でランキングが付けられています。コンテンツは企業からMOEが買い取り、著作権の問題をクリアしています。
iSHARE
教員が作成したデジタル教材を集め、各教員が自由にダウンロードして活用できるシステムです。Eduma112.0からもアクセスできます。

 

◆ フューチャースクール@シンガポール

マスタープラン2で始まったフューチャースクール@シンガポールは、日本の総務省が実施する「フューチャースクール推進事業」のモデルとなったプログラムです。
日本の総務省が実施する「フューチャースクール推進事業」は、ICTツールを効果的に活用し、協働教育を進めるための先進的な学校教育のことで、2009年当時の原口総務大臣が「原口ビジョン」の中で提唱したものです。当初10校の公立学校が指定され、23年度からは文科省の「学びのイノベーション事業」と連携し、調査研究が進められています。
 そのモデルとなった「フューチャースクール@シンガポール」とは、児童生徒が見識と責任のあるICT活用者として、自立と協働的な学習能力を身に付けるための方法として、MOEとIDA(情報通信開発庁)が共同で立ち上げたプログラムです。国がイニシアティブをとり、環境を整備することによって、ICTを効果的に活用し、教授法や実践内容をめざましく変革させることを目的としています。その背景には、教育を取り巻く環境の二大変化があります。つまり、
 第一に、教師中心の教室学習での知識習得の教育から、学習者に焦点をおき、教室の枠をこえた学習空間での児童生徒の協働学習能力や自学能力の奨励への変化。
 第二に、地球規模での相互デジタルメディアとしてのICTの普及。
この二点です。教育サービスの多様性を高め、児童生徒が将来、高いICT活用能力を持った市民、労働者になることを目指しています。

フューチャースクールの選定
マスタープラン2では、学校全体の15~20%に当たる約70校がLead ICTスクールに選定され、積極的なICT活用モデル校として先進的な取り組みを進めました。その後、全小・中学校の3~5%の学校をフューチャースクールとするICT政策が始まり、マスタープラン3に引き継がれました。フューチャースクールは、応募のあった学校からMOEが選定します。2008年6月、厳しい選定基準をクリアした5校が選ばれ、IDA、国立研究財団その他の業界によって4年間で総計8000万シンガポールドルが予算化されました。選定基準には、学校運営者の強力なリーダーシップ、提案された教授法の確かさ、参加する教師のリサーチ能力と授業での指導力、教授・学習とICTをどのように融合させるかについての明確な見解などがふくまれます。協賛する企業は、技術や機器、資本などの面でこのプログラムを支えています。企業にとっては、商品化の可能性やニーズを調査するための実験の場として活用する利点があります。
 MOEでは、今後参加校を15校まで増やし、それぞれが違った内容でどのような教育をすればどんな力がつくのかを実験することを計画しています。
フューチャースクールの実際
 2012年1月現在、シンガポールのフューチャースクールに指定されているのは以下の8校です。
Beacon Primary School、Canberra Primary School、Crescent Girls' School、Hwa Chong Institution、Jurong Secondary School、The School of Science and Technology、Nan Chiau Primary School、Ngee Ann Secondary School
 シンガポールには全部で約350の小中学校がありますので、これはシンガポールの全小・中学校の約3%に当たります。8校は、産業界や高等教育機関と協力して、それぞれが特色あるテーマをかかげ、ICT教育の先導的な役割を担い、実験的な研究・実践に取り組んでいます。
いくつか例を挙げてみましょう。
◎Beacon Primary School
 フューチャースクール元年の2008年に初めての1年生を受け入れた学校です。ICTを効果的に活用した授業実践研究に力を入れています。教師自身の実践のふり返り、検証、そして、それを支える人材、システム、資源などの枠組み、ICTを活用しやすい学習空間の整備などを研究しています。
 1人1台コンピュータが使える環境を整備し、低学年がキーボードを打たなくても文字が使えるタブレットPCを使った共同学習によるデジタル・ストーリーテリングなど、特色ある実践を進めています。
◎Crescent Girls School
 日本の総務省が取り組んでいる「フューチャースクール推進事業」のモデルとなった中学校です。シンガポールの全中学校154校のうち、ランキングトップ10%に入る進学校で、「明日のシンガポールを担う女性リーダー」を育成しています。全生徒がタブレット型PC(日系企業製品)を約3000ドルで購入し、全ての授業に持参します。知識注入型ではなく、課題に対してグループで討議をしたり、作業をしたりし、その進捗状況や結果が電子ボードに表示され、それぞれの成果を全員が確認することができる協働学習に力を入れています。2009年にはHP社のICT教育に関する優秀賞を受賞し、同社の支援でGreenLABという学習環境が整備され円卓会議などに利用されています。企業と共同でICT教材や学習環境の開発を行なっています。
◎Nan Chiau Primary School  
 2011年3月、新たにフューチャースクールに選ばれた学校です。「いつでも、どこでも」を合言葉に、シームレス・ラーニングプログラムに取り組んでいます。教室の枠を超えて協働的に自主学習ができる子どもの育成を目標に、iPod Touchやスマートフォン、タブレットPCを効果的に活用する方法を研究しています。
 スマートフォンを使った母国語の学習では、Web2.0(WikiやFacebookなど)を活用するなど、情報の共有や発信する機会を多く取り入れています。

◆ SSTの入学生はどんな子どもですか

シンガポールの小学生は、卒業時にPSLEという試験を受け、その成績によって進路が決まります。しかし、SSTは、PSLE以前に独自の選考試験をしています。選考試験では、学力のほかに発想力、想像力、交渉力、問題解決力、他者の意見に耳を傾ける力などを見極めるため、インタビューやグループ討論、共同作業などを取り入れています。学力だけが高い生徒ではなく、テクニカルな面のバランスを考慮して入学生を決定しています。
  ちなみに、体育学校やアートスクール以外でPSLE以前に独自の選考試験を実施しているのは、国立大学(NUS)附属の数学に特化した中学校とSSTのみです。

◆ 合格率はどのくらいですか

 200名の募集に対し、毎年約1300~1500名の応募があります。

◆ 現在の全校生徒は何名ですか

一般的な中学校の1学級の生徒数は35~42名ですが、SSTでは20~23名におさえ、行き届いた教育ができるようにしています。シンガポールの中学校は4年制ですから、開校3年目のSSTは4年生の生徒がいないので全校約600名です。男女比は75:25で、国籍はさまざまですが、シンガポール国民とPR保持者が入学できます。宿舎はないので、通学はほとんどが保護者による送迎で、公共交通機関を利用する者もいます。

◆ どういう子どもを育てることを目指していますか

SSTは科学とテクノロジーに特化した中学校ですが、学力とテクニカルな面、人と関わる力などのバランスのよい生徒の育成を目指しています。学力面でもただ記憶するだけではなく、物事を注意深く観察した上で「どうしてそうなるのか」という過程に注目し、多面的なものの見方ができる深い思考力を育てることを重視しています。
   科学教育ではデジタルコンテンツだけに頼るのではなく、実物に触れる活動を充実させるために、植物や生物が観察できる植物園や人工池を整備中です。
  また、体力や芸術の能力を高める教育にも力を注いでいます。サッカーコートや陸上トラックに加え、広い体育館や健康器具を備えたジム、屋上にはスカイガーデンなども整えています。

◆ フューチャースクールとしての特色ある取組は何ですか

 1to1ラーニングプログラムは、1人1台のノートPC(MacBook)を入学時に購入し、数学と母語以外の理科、人文、語学、美術の授業で教材として活用します。購入費用は4年間の保証も含めると約2800シンガポールドルです。毎年、5~6名は経済的な理由で購入できない生徒がいるため、月額10シンガポールドルで貸し出しています。

◆ 紙の教科書は使わないのですか

 教科書を使うのは数学と母語のみで、その他の教科では生徒自身で「E教科書」を作成します。E教科書はSSTの各教科担当者が作成したフォームに、生徒が自分で選んだデジタル情報や教材などを追加して独自の物を作ります。PCは教科書であり、ノートでもあります。教員は定期的に内容をチェックし、不適切な内容は使用できないように規制しています。

◆ 教室外の授業も多いそうですね

校外での学習には、学校所有のタブレットPC(iPad)を持参し、ノート代わりに利用します。フューチャースクールはどの学校もそうですが、3000㎢の校内はどこでも無線LANが使用できるので、そこここでMacBookを開いて談笑する生徒たちの姿が見られます。

 

 

 

 

 

◆ フューチャースクールは企業と共同で教材開発など
  していると聞きますが・・・

 MacBookやiPadのメーカーであるアップルコンピュータ社は重要なパートナーの1つで、教員に対しての研修や学習ネットワークの提供などを受けています。

◆ ICT教育のほかにも特色ある取り組みがありそうですね

ほかにも特色あるプログラムとして、グローバルシチズンシップ・プログラムでは、全1年生がタイ、ブルネイ、カンボジア、ベトナムなどのアセアン諸国や中国に訪問する機会を持ちます。各国にはパートナースクールがあり、交流することで、国際感覚や各国の文化に対する認識を高める目的があります。サイバーウェルネス(デジタル・リーダーシップ)は、責任あるICT利用者を育てるプログラムです。ほかにも南洋工科大学と提携したミニキャンプでは、生徒は3日間の実験授業を受けます。

 

 

◆ 教員の採用はどうしていますか

 10分説明して15分活動させる。説明を短く、フィードバックに充分時間を取れる教員がSSTには必要です。伝統的な教員なら半年もここでは耐えられません。生徒たちが大変積極的に質問するからです。教室管理能力の高さも重要です。ですから、シンガポールに限らず、マレーシア、カナダ、イギリスなどからも採用しています。子どもたちに深い思考力と協働する力を育てるために、教員には海外視察研修や現地校研修の機会を与え、常に資質の向上を図っています。
 日本ではここ数年、各教室への薄型大画面TVや実物投影機の設置など教育のICT化に向けての環境整備が急ピッチで進められています。取材で訪問したシンガポールの現地校のスタッフがこんなことを言いました。「本校に導入しているICT機器はほとんどが日系企業の製品です。このような製品を開発している日本ではどんなICT教育が展開されているのですか。」
 シンガポールのフューチャースクールは、それぞれが明確な実験目的をもって取り組みを進めています。教育のICT化には賛否両論がありますが、子どもたちを取り巻く環境は、すでに想像を超えたICT環境の中にいると言っていいでしょう。見識と責任あるICT活用者を育てるため、シンガポールから学ぶことがたくさんありそうです。

(文・写真 上田 恵)

■取材参加者の感想■
・ 最新の情報機器を取り揃えている一方で、機器の操作技能よりも、それをいかに活用して生徒たちの理解を深めさせるか、生徒中心の学習を組み立てていくか、ということを重視している点が、たいへん興味深いと思いました。
・ シンガポール政府の教育に対する意気込みを強く感じました。
・ 取材をする中で出会った生徒たちは、大変はきはきとしていました。こちらの問いかけにも物怖じすることなく、理路整然と答えることができていたことにも驚きました。
・ 先生を独自に採用することで、学校の教育方針に合った教師を確保でき、そのことで学校全体で目指す方向を決めて、学校運営ができていることが印象に残っています。

※ シンガポールのフューチャースクールについては、IDAのサイトで詳しく紹介されています。
http://www.ida.gov.sg/programmes/20090513123701.aspx?getPagetype=34

SSTのホームページ  http://www.sst.edu.sg/

参考文献 
『フューチャースクール シンガポールの挑戦』ピアソン
Beacon小学校の授業実践研究の過程を詳しく紹介しています。

翻訳協力 牧野 奨

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