イスラーム最大の行事であるハッジ(大巡礼)。イスラーム暦12月(今年は11月初旬~)8日から12日にかけて、世界中から300万人以上のムスリム(イスラーム教徒)がサウジアラビアにある聖地マッカに集い巡礼を行います。シンガポールからも毎年大勢の人がハッジに参加しています。今回は、日本人ムスリムで2006年12月にハッジを果たした筆者が、その実際をレポートします。 

◆ ハッジ(大巡礼)とは

イスラームには信者が行うべき「5つの行為(五行)」(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、大巡礼)があり、ハッジ(大巡礼)はその中の一つです。礼拝や断食が日常生活の中の身近な行であるのに対して、ハッジは経済的・体力的に可能な信者にのみ一生に一度課せられる特別な行だといえます。そして、ムスリムにとって巡礼に行くことは人生最大の目標であり、それを終えた者は「ハッジ(巡礼者の意、女性の場合はハッジャ)」と呼ばれます。
 イスラームには「ハリラヤ・プアサ(アラビア語ではイードル・フィトル)」「ハリラヤ・ハッジ(イードル・アドハ)」という二つの大祭があります。「ハリラヤ・プアサ」(今年は8月30日)は一か月続いたラマダーン(断食)月明けを祝うお祭りです。一方「ハリラヤ・ハッジ」(今年は11月6日)は別名「犠牲祭」と呼ばれ、ハッジの成功を祝うお祭りです。犠牲祭と呼ばれるのにはいわれがあります。昔、預言者イブラヒーム(アブラハム)は息子のイスマイル(イシュマエル)を犠牲に捧げるよう神命を受け、息子の命を奪おうとしました。その時、神はイブラヒームの信仰心をお認めになり、イスマイルの代わりに羊を捧げるよう命じました。この故事にちなんで、ハッジの行の中で動物を犠牲に捧げるため犠牲祭と呼ばれるのです。この日はハッジに行かなかった人たちも、羊、牛、駱駝、馬、水牛、バッファローなどを犠牲に捧げます。シンガポールでもハリラヤ・ハッジの日には各地のモスクでオーストラリアから空輸された6千頭以上の羊がほふられ、その肉は家族や貧者などに分け与えられます。

◆ 世界中から集まる巡礼者


バスの屋根に乗って移動する巡礼者

預言者の時代から続くハッジは時代とともに巡礼者数が急増し、現在はインドネシア、パキスタン、インド、トルコ、アラブ諸国のみならず、中国、日本、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカ等世界中から300万人程度の巡礼者が集まります。特に多いのがシンガポールを含む東南アジアからの巡礼者で、シンガポールからは毎年3千人~4千人、インドネシアからは20万~80万人の巡礼者が訪れます。海外から巡礼に行く場合、巡礼専用のビザが必要(取得にはムスリムであることが条件)で、サウジアラビア政府は、各国からの巡礼者受け入れ数をムスリム人口の0.1%程度に制限しています。巡礼希望者は毎年定員を大きく上回り、申し込んでから実際に行けるまで数年待つこともあります。
 ハッジの費用は、シンガポール周辺国からの出発で一人5,000ドル~10,000ドル(2011年現在)。費用の内訳は、飛行機代やハッジ期間前後にマッカやマディーナで宿泊するホテル代などです。庶民にとっては決して安くはない金額ですが、一生かけてハッジの費用を蓄え、老齢になってようやくその機会を得るという人たちも多くいます。一方で、日本のようにムスリムが少ない国には、サウジアラビア国王から特別支援があり、毎年一定数の日本人ムスリムが国王の招待者として無料でハッジを行っています。

◆ ハッジの行程

それでは実際のハッジの行程を紹介しましょう。

1.シンガポール出発

 家族や近隣のムスリムたちに見送られて別れのあいさつを済ませた後、いよいよ巡礼に出発します。昔はマッカに行き着くまでに数カ月を要し、道中で山賊や海賊に襲われたり病気や事故で亡くなったりすることも多く、巡礼は命がけで行われていました。交通手段が発達した現代においても、巡礼に出発することは覚悟を伴います。
 チャンギ空港からサウジアラビア航空専用機にてサウジアラビアのジェッダに向かいます。飛行機がリヤドを経由したころ、間もなくミーカート(境界)を通過するという機内アナウンスがあります。ミーカートとは南北約400キロ、東西約200キロの聖域境界線上の5カ所の入り口のことです。マッカに入る巡礼者は、陸路はもちろん空路であっても、必ずそこを通って聖域に入ります。ミーカートに入る前に男性は機内でイフラームと呼ばれる白い2枚の布(巡礼服)に着替えます。(女性は着替えない)。それは、この世での身分や地位や貧富の差、人種や民族や国籍の違いを一切捨て去り、一ムスリムとして神のもとに赴くことを意味します。イフラームを身につけている間は、殺生や夫婦生活を行うことは禁じられます。また、イフラームはムスリムが亡くなったときの死装束にもなります。ミーカートを通過するといよいよ巡礼が始まります。

2.聖地マッカに到着
 ジェッダ空港ハッジ専用ターミナルで入国手続きをし、陸路で聖地マッカに向かいます。マッカの町は岩山だらけで切り立った崖が立ち並んでいました。マッカの聖モスク(カアバ神殿)は地上3階地下1階建で主な入り口だけで数十はある巨大で複雑な構造で、カアバ神殿のある広場はその中央のすり鉢の底部分にあります。そこで、第一番目の行「タワーフ」(カアバの周りを反時計まわりに7周回る)という行を行い、そのあと「サアイ」(聖モスクの中にある、サファーとマルワという丘の間を7回往復する)という行を行います。

3. ミナーのキャンプに出発(巡礼月8日)


ミナーのテント内の様子
巡礼月8日、メッカのホテルを後にし、6キロほど離れたミナーのキャンプにバスで移動します。これから巡礼が終了する巡礼月13日まで、このミナーのキャンプを拠点に行を行います。ミナーは谷になった場所で、ミナーとメッカ、そして、ミナーとムズダリファの間には境界線があり、巡礼者はその境界線の内側に滞在しなければなりません。そのため、境界線の内側は各国からの巡礼者のテントでびっしり埋め尽くされています。テントは国ごとに場所が決められおり、テント内は男女別に分かれています。内部は地面にカーペットをひいただけの簡単な作りで、夜間はかなり冷え込みました。 またこの日は別名「水汲みの日」と言われ、翌日から始まる移動に備えます。

4.アラファ~ムズダリファ(巡礼月9日)

ムズダリファでの野営
 巡礼月9日、ミナーから14キロほど離れたアラファという場所に行き、日没までそこにとどまって祈りを捧げます。アラファは天国から追放されたアーダム(アダム)とハワー(イブ)が地上で再会した場所だと言われています。アラファにはラフマ山という山があり、そこで預言者ムハンマドは最後の説教を行い、彼の後に続く人々への神の許しと加護を祈ったと言われています。そこに滞在し祈りを捧げることはハッジのクライマックスです。日没後はアラファとミナーの間にあるムズダリファという場所に移動し、そこで野営しながら夜明けを待ちます。そこでは翌日の石投げに備えて小石を拾います。


5.ミナーで石投げ(巡礼月10日以降)


石投げ場(1階)

夜が明けたら巡礼月10日、ミナーに戻り石投げに向かいます。これは預言者イブラヒームが神命に従って息子のイスマイルを犠牲に捧げようとしたとき、悪魔に不信を吹き込まれ、石を投げて悪魔を追い払ったという故事にちなんでいます。石柱に向かって石を投げるのは、日本の豆まきに似た感じです。この石投げの場所は大変混雑し、よく事故がおこる箇所ですが、筆者が行ったときは、各国ごとに割り当て時間が決められ通路も3層(現在は5層)になっていて、かなり混雑緩和がはかられていました。
石投げが終わると、男性は髪の毛を剃り落します。これはハッジの主な行の終了を意味し、罪をそぎ落とすという象徴的な意味もあります。そのあと巡礼者は動物を犠牲に捧げます。この日はハリラヤ・ハッジで、巡礼地以外でも動物の犠牲を捧げてハッジの成功を祝います。


巡礼者
 巡礼者は、その後マッカのカアバに行ってタワーフとサアイ(2で先述した)を行い、日没までにミナーのキャンプに戻ります。この日のマッカ~ミナーの移動は一斉に移動する巡礼者たちによって大混雑します。巡礼者はバスに乗ったり歩いたりして移動しますが、車は渋滞でほとんど動かなくなります。筆者たちも途中まではバスで移動し、最後は歩いてマッカに向かいました。また、この日のマッカでの行は非常に混雑するため、群衆に押しつぶされないように各国のグループは女性を真ん中に入れて、そのまわりを男性たちが取り囲んでいました。聖モスクには、巡礼中に亡くなった人の遺体が次々に葬儀の礼拝のために運び込まれていました。
 その後、巡礼月11日~13日まではミナーのキャンプにとどまり、毎日石投げを行い、最終日にもう一度マッカに行って別れのタワーフとサアイを行います。これでハッジの行がすべて終了することになります。
ハッジを行った者はそれまでに犯した宗教上の罪のすべてが許されると言われているため、ハッジを終えた人々は生まれ変わった晴れやかな気持で故郷に帰っていきます。

◆ 現代のハッジ


聖モスクの近くにできた巨大時計

ハッジは約1400年前から続く行事ですが、巡礼者の数が激増している現代の事情に合わせて、変化している部分もあります。メッカの聖モスクは収容人数を増やすために拡張を繰り返し、2007年からは周辺の高級ホテルを壊しての大拡張工事が行われています。その中で巨大時計台が出現しました。また、巡礼期間中は300万人以上の巡礼者が40キロにも及ぶ巡礼エリアを同時に移動するため、渋滞緩和のため巡礼ルートを走る電車が2012年に完成予定です。宗教的伝統を守りながら、最新技術を取り入れていく、それが現代の巡礼の在り方のようです。

 

 

 

コラム:ハッジの由来
 イスラームは、ユダヤ教、キリスト教と同じく唯一神からの啓示による宗教(一神教)で、啓示の宗教には、神の啓示を民に伝える預言者が必ずいます。イスラームは今から約1400年前サウジアラビアのマッカで預言者ムハンマドが神からの啓示を受けて始まりましたが、聖典クルアーンの中には、ムハンマド以前の預言者たち(アブラハム、ダビデ、モーゼ、キリスト等)についての記述がたくさんあります。中でも預言者イブラヒーム(アブラハム)は一神教の始祖と位置づけられ、ハッジの行で行われる神事の多くは、預言者イブラヒームが行った神事を起源としています。また、ハッジのやり方は、預言者ムハンマドが実際に従者たちに示して見せたハッジのやり方を1400年たった今まで引き継いでいます。

コラム:ザムザムの泉


サアイ(現在のサファーとマルワの丘は
モスクの建物内にある)

カアバのある聖モスクの中には、ザムザムという聖水のわき出る泉があります。それにはこんないわれがあります。預言者イブラヒームは神命により、幼子だったイスマイルと母親のハージャル(ハガル)にわずかな水と食料を持たせて砂漠の真ん中に置き去りにします。間もなく飲み物も食べ物も底をつき、母子は飢えと渇きに苦しみます。その時ハージャルはサファーとマルワの丘の上を7度走って往復して、イスマイルのために水を探したと言われています。ハージャルが水を見つけられずにイスマイルの元に戻ると、イスマイルの足元から水が湧き出しており、二人はこの水で命をつなぐことができました。この泉がザムザムの泉で、今でも尽きることなく聖水が湧き出しており、巡礼者たちはその聖水で喉をうるおし、故郷に持ち帰ります。また、ハッジで行われる「サアイ」の行は、水を探して丘を7度往復したハージャルの行為を偲んだものだと言われています。

コラム:カアバ神殿
 皆さんテレビなどでカアバ神殿の映像を見たことがあるかもしれません。黒い「キスワ」という布で覆われた立方体の石でできた建物で、ムスリムが礼拝する際には、必ずこのカアバの方角に向かって礼拝します。各国のモスクには「キブラ」というカアバの方角を示すしるしがあります。ところで、カアバとは一体何でしょうか? 実はカアバは単なる建物に過ぎず、中に像などが入っているわけではありません。カアバとはイスラームよりはるか以前、一神教の始祖である預言者イブラヒームが息子イスマイルとともに建立したものが起源だと言われています。時代が下り、預言者ムハンマドにイスラームが啓示された当時、マッカは多神教徒の支配地域で、たくさんの偶像がカアバの中や周りに並べられていました。そこでムハンマドは、創造主である神は、人間が作った偶像で表せるものではないことを人々に知らしめるため、その偶像をカアバから排除したと言われています。


(文・薮内美奈子 Photo・Takeshi Fukushima)


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