能楽師 寺井千景さん インタビュー
 さあ、皆さん、大きな声で謡ってみましょう。結婚式でも聞かれるお目出度い高砂を謡い、扇を掲げて摺り足で舞う仕舞に一同緊張の面持ち。11月6日からの3日間にわたって能のパフォーマンスとレクチャーが日本人会で催され、沢山の方が初めて能を体験されました。難解な、敷居の高い伝統芸能として知られている能の世界に触れることが出来る貴重な体験である今回のイベント。指導してくださった女性能楽師寺井千景さんにお話を伺いました。  
 お稽古の後のインタビューに現れた寺井さんの装いは、舞台で見る紋付、袴姿から一変して、薄い軽やかなグリーンのフリル一杯のブラウスにミニスカート。その姿は若々しく女性らしい能の後シテの変わり身を思わせるものでした。

略歴 寺井千景

能楽観世流シテ方(準職分)。
1982年生まれ。父、寺井栄(観世流職分)に師事。
2004年東京芸術大学音楽部邦学科卒業。
2006年同大学院音楽研究科終了。
3歳にて仕舞、老松にて初舞台.16歳で花月で初シテを勤める。

現在Lasalle College of the Arts にて講師を勤める。

能楽師への道
伝統的な能楽師の家に生まれたことについては?
 中学生になるまでは能楽師になるなんて、全く意識していませんでした。でも中学に入学して、将来の夢を尋ねられたときにはもうはっきり能楽師になるって決めていました。家のなかでは今日のお装束は何?等、毎日が能の話題ですから、そのことに違和感はありませんでした。それと私の父はとても優しいひとなので荒い声をだしたり、叱りつけたりすることがないひとなんです。勿論お稽古となると厳しいのですが、それでも怒鳴りつけたりすることはありません。ですから3歳からお稽古を始めていたのですが能をしなければいけないとか継がなければいけないとか言われたことはありませんでした。たぶん、強制的に能をしなくてはいけない、と言われたら続けていなかったと思います。自然にこの世界に入っていって今があります。

女性能楽師ということについては?
 能楽師であることで一芸を持つということは良かったと思っています。また、大学で日本の邦楽について学んだことも海外に出る時には役立っていると思います。日本では、戦後、女性能楽師も増え、今後は、私らしく、女性能楽師だからこそ表現できる舞台を勤めたいと思っております。

海外(シンガポール)の能について
シンガポールで能の講義をされるようになったのは?

 2008年に日本人会で、家族で能のレクチャー・デモンストレーションをさせて頂きました。その後シンガポールの大学でアジアのダンスのひとつとして能をとりあげることになり、以前から海外に興味があった私にお声がかかり、芸術大学の学生に能を教えることになりました。今年でもう4年になります。

シンガポールの大学の授業は?
 もともとラサール芸術大学には、オーストラリア人の教授とシンガポール人の教授で能に関心があり、能のお稽古もされていた方がおられたので、理解はあったのですが、学生さん達はなんでも理屈をつけて理解しようとします。動きに理由を求めてくるのです。型の意識はないのでひとつひとつ意味があるのではないかと聞いてきます。でも三週間の稽古と最終日のプレゼンテーションで、緊張しながら正座して足の痛さを我慢し課題曲を舞い終えると、初めて内面から能の精神や動きを理解し納得するようですね。毎年いろいろ考えて今年はこんな風に教えてみようと挑戦しているんです。はじめに出来ると思っていた子が必ずしも出来るということはありません。続けてみて伸びる子もいるんです。


『小鍛冶』 前シテ 童子 
2011年


『熊坂』 後シテ 熊坂長範の霊
2010年9月 龍瑩会


『羽衣』 シテ 天人
2008年1月 修士演奏会
(撮影 前島吉裕)

日本人会
能体験講習会


今回の日本人会のイベントについては?

 みなさん、とても楽しんでいただいたようです。ただ参加された方達は単なる興味本位でなくなにかしらお茶であるとか、日本舞踊をやっておられたりと、日本文化に理解と興味のある方達だという印象を受けました。今回日本人会でこういう機会をいただいたことに本当に感謝しています。

これからの夢
今後のご活動については?

 能は難しい、わからない、と言われるのですが、わからないのではなく知らないからなのだと思います。沢山の方にもっと能を知っていただき今後は海外の方にも知っていただけるよう、海外支部が出来たらと思っています。私自身、海外で活躍したいと思っておりますので、その一つの方法として、海外支部発足を考えております。それから子供さん方にも能に親しんでいただきたいですね。能には子方というお役があり、演ずる曲目のなかではとても重要なお役もあります。是非、親子で能を楽しんでいただきたいですね。

未来の伴侶については?
 能に関心があり、世界で活躍することを許して理解して下さる方が良いです。

シンガポールの印象
シンガポールについての印象は?

 チキンライスに蟹ですね。蟹カレーが美味しかったです。日本では友人とよく食べ歩きで銀座に行っています。それから、サンズですね。最初建築するころから見てましたけど、何かあった時は大丈夫かな?って。セントーサのビッグマーライオンも好きです。自然があってセントーサに渡るケーブルカーも好き。高いところからいろんなところが見渡せてとても気持ちがいいですね。

 寺井さんの分かりやすいレッスンに、参加者の方もたちまち俄能楽師となる事が出来た楽しい授業。日本では格式や伝統に支えられているため今回のような機会はなかなかないと思われます。日本に住んでいてもあまり触れる機会も思いも少ない日本の伝統文化ですが、海外に住むとなると、かえって日本の文化に心惹かれる方は多いのではないでしょうか。セントーサ島を一望するケーブルカーに乗って、四海遥かに世界を見渡す寺井さん。シンガポールの自由闊達な風に乗って世界の能に飛躍する日が一日も早く来ることをと願わずにはいられませんでした。


豆知識

能楽は室町時代初期に大成され今日に至る日本の伝統演劇の一つ。 歌(謡)、舞、劇、音楽(囃子)が一つになり、面(おもて)装束 (しょうぞく)をつけて演ずる。 囃子とは笛、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓による演奏。仕舞とは 能の舞の主要部分のうち囃子を伴わず地謡(合唱謡)による舞いどころのみ独立させて演ずるもの。通常は仕舞扇を持って舞う。 また、能の流派には各々の持ち味をもつ、観世流(優美さ)、宝生流(渋み)、 金剛流(舞中心)、金春流(舞中心)、喜多流(男性的)があるが、能を演ずるにあたっては、 シテ方、ワキ方、笛方、小鼓方、太鼓方など劇の演者や伴奏者の芸をそれぞれ分かれて伝承している。 シテは為手、演技者の意味で、曲の中心となる人物のこと。能楽は概ね前後二場に分かれて演ずるが、シテは一度退場した後再び扮装を改めて登場する。前場のシテを前シテ、後のシテを後シテと称する。シテ方とはこのシテを担当する人々のことを指す。また、子方とは子供(中学1年くらいまで)の演者のこと。他に、ワキ(副主人公の演者)ツレ(シテの助演者)などがある。

 

(取材・文 笠﨑あとみ 写真・薮内美奈子)

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