本日もこの様なフレーズが私の職場の華人職員の間で飛び交っている。シンガポールの言語と言えば「Singlish」がつとに有名で、あちこちで取り上げられるが、この様にそれ以外にも面白い事象がある。
 私は、約4年前から商事会社のシンガポール駐在員として勤務しており、この間、この多民族国家の様々な事に興味を持ってきた。言語環境にも関心があり、特に自分の学生時代からの専門である中国語がらみの事象については、気になって色々調べてみたりした。
 今回は、そうした経験をもとに、学術的な見地からではなく、一生活者の視点から見たシンガポールの言語状況のユニークさについて書いてみたい。

◆ シンガポールの言語に関する基本状況

先ずは簡単にシンガポールの言語に関する基本的状況をおさらいしたい。シンガポールの民族構成は、中国系が約75%、マレー系が約14%、インド系が約9%である。「国語(National Language)」はマレー語。「公用語(Official Language)」はマレー語、標準中国語(本稿では「マンダリン」の代わりに「標準中国語」を使用する)、英語、タミール語の4言語。ビジネスで多用されるのは圧倒的に英語であり、生活の場では「Singlish」と言われるマレー語や中国語の影響を受けた当地独特の英語、それに各民族の母語が使われる。冒頭で例にあげた文例は、標準中国語の中に英語が混入したもので、シンガポール華人間の日常会話で非常によく使われる。「国語」であるマレー語は、国歌斉唱や軍隊の号令等には使われるものの、通常はマレー系同士の会話でしか使われない。
 教育環境を見ると、全ての国民は、学校教育で英語と母語の両方を習熟することが求められている。従ってシンガポールで教育を受けた一定の年齢以上のシンガポール人は、程度の差こそあれ例外なく英語を解することができる。このことは、シンガポールのビジネス環境の高評価の主因ともなっている。
 母語と英語以外の言葉を習得している人が多いのもシンガポールの特徴だ。例えば私の同僚である49才のインド系の運転手は、母語のパンジャブ語の他、英語とマレー語は読み書きができるネイティブだし、タミール語、ヒンディー語と中国語方言の福建語は簡単な会話ができる。この様な人は、当地では特に珍しくない。

◆ 実際の状況

シンガポール人の誰もが英語と母語を、それぞれビジネスと生活の場できれいに使い分けているのか、と言うと実態はそうシンプルではない。特に生活の場においては、冒頭の例の様に母語と英語が同じセンテンスの中で混合することや、会話の中でセンテンス毎に変幻自在に(例えば英語から中国語、また英語へと)使用言語が変わっていくケースもよく見られる。
 さらに状況を複雑にしているのは、同じ民族毎の母語と言ってもかなり多様性があることだ。例えば華人は「中国語」が母語ではあるが、シンガポール華人の祖先は、(多い順に)福建語、潮州語、広東語、客家語、海南語等異なる方言を話す人々であるため、実際には異なる出身グループ毎の意思疎通が困難であった(但し、後述するように現在の状況は相当に変わっている)。マレー系の人々の母語は太宗がマレー語だが、インド系の人々はタミール語、ヒンディー語、パンジャブ語等、方言と言うよりもそもそも違う言語を母語としている。タミール語がこの国の公用語に選ばれているのはインド系の中でこれを母語とする人が最も多かったからであって、本国のインドではヒンディー語が「連邦公用語」でメインの扱いだ。
 同じ理屈で言えば、中国語の公用語を最も使用人数の多い福建語(通称「ホッケン」)にする手もあったのだろうが、シンガポールは標準中国語を華人間の公用語とすることに決め、すでに30年以上「Speak Mandarin(讲华语=標準中国語を話そう)」キャンペーンを政府主導で推進している。その結果、中年以下の世代では徐々に標準中国語が母語に近い位置づけになりつつある。私の周りの華人でも、子供達(方言を解さない)とは標準中国語か英語で話すが、両親や祖父母とは「ホッケン」等方言で話す・・と言うケースが多い。もともと標準中国語を母語とするシンガポール華人の祖先はほぼ皆無なので、いわば、政府が力づくで華人の母語を中国語各方言から標準中国語に変えようとしてきた訳だ。その結果、シンガポールでは、方言のフレーバーが混じった「シンガポール版の標準中国語」とも言えるユニークな中国語が普及している。この施策には賛否両論があるが、リー・クアンユー氏をはじめとする当時の指導者が、中国と標準中国語の勢いが世界を席巻する事を30数年前から予測していたとすれば、大した先見の明と英断であったと言えるだろう。

◆ ユニークさの活用

この様なユニークな言語環境を持つシンガポールを活用しようとする動きも現れている。
例えば、ある日系大手百貨店は、中国の上海に大型店舗を開店するに際し、日本の本社からの出資比率よりシンガポール法人からの出資比率を高くしている。これはシンガポール法人が新店のマネジメントにより深く関わることを意味する。具体的には、シンガポールの店舗で育ててきた人材やかれらの持つノウハウを上海で活用しようとしているからだと言われる。言うまでもなく、日本人ならぶち当たる言葉(中国語)の壁が華人にはほとんどない。同様に、インドや、マレーシアといった国々に進出するゲートウェイとしてシンガポールを活用しようと言う動きもある。
 また、グローバル化の急展開する韓国では、子女を中高生の頃から海外留学させる家庭が増えており、それほど豊かでない家庭ではフィリピンで英語を学ばせ、少し豊かな家庭ではシンガポールで英語と標準中国語を学ばせているとも聞いた。現に私の知人の韓国人男性は、中学の頃からシンガポールに留学し、今では英語と標準中国語を完全に身につけており、婚約者の女性(マレーシア華人)とは標準中国語で会話している。

◆ 今後の言語状況は?

最後に、今後の言語状況がどうなるかについて予測をしてみたい。
 当面、シンガポールの「英語+母語」という二言語政策が変わる事はないと思われる。また、シンガポールがグローバル企業の戦略拠点として発展を続ける中で、英語の重要性はますます強まっており、より英語に重点をおいた教育が重視されていくだろう。生活言語としての「Singlish」はなくならないだろうが、「Singlish」しか話せない人は、ビジネスの場では今より肩身が狭くなるかも知れない。
 一方、華人に対しては、引き続き英語+標準中国語を中心とした教育が続けられるため、標準中国語の普及度やレベルは高くなるだろう。学校教育やテレビ、流行歌等の影響で、若い世代では方言よりも標準中国語を母語として使う人たちが急増している。また、中国大陸やマレーシアから続々移住している中国系の人たちは、私の印象では母語が方言であっても一般にシンガポール華人よりきれいな標準中国語を話す。こうした人々の増加もシンガポールの標準中国語のレベルを高めそうだ。
 現在でも、例えば言語別の新聞発行部数(シンガポール・プレス・ホールディングスの統計では英語紙約100万部、中国語紙〈すべて標準中国語で書かれている〉約50万部、マレー語紙約12万部、タミール語紙約2万部/日)や街頭での実感からして、英語と標準中国語が実質的に二大言語となっている感はあるが、今後はさらにその傾向が強くなるように思われる。

◆ 結び

小文は、筆者が中国語に関心が高い為、ややその視点に偏った内容になった面はご容赦願いたい。例えばマレー語が出来る方には、他にも面白い見方がたくさんあることと思う。ただ、「Singlish」への分析や冷やかしに偏ったきらいのある「ありがちな」シンガポール言語考察とは少し違う視点から、特に中国語にも関心のある方にとって、興味をもって頂くきっかけになれば幸いだ。
 シンガポールがこの様なユニークな言語環境を持つに至った経緯や実態等については、学術的な調査や専門家によるコメントも多く出ている。例えば、後述する文献にもより詳しく書かれているので、ご興味がある方は日本人会図書館でご一読になることをお奨めする。

(すがのう・ひろむ= 三菱商事シンガポール支店勤務)


 【参考文献】
『シンガポールの国家建設-ナショナリズム、エスニシティ、ジェンダー』
  田村慶子著 明石書店刊
『シンガポールの言葉と社会-多言語社会における言語政策』
  大原始子著 三元社刊
『シンガポールの華人社会』
  顔尚強著 シンガポール日本商工会議所刊

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